2016年05月11日

鎌倉街道(古道)上道を歩く・3(影取R1藤沢バイパス入口〜俣野神社)

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国道1号線の藤沢バイパス入口を左折すると
道の先に庚申塔などが並んでいます。
この手前になる道を右折して道なりに進んでいきます。

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ひなびた細い道ですが、抜け道に使う車が
たくさん通ります。

道沿いに突如あらわれる鳥居。
八坂神社の鳥居で、現在の道のために参道が
分断され、鳥居だけが建っているように見えますが、
坂をくだると八坂神社の社と境内があります。

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鳥居の横には鎌倉街道上道の説明板、
奥に庚申塔が数基たっています。

過去記事
八坂神社 http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/157134043.html
庚申塔 http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/157650484.html

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八坂神社を過ぎて道なり進んでいき、橋で左折。
俣野小学校の前を過ぎると県道403号線の交差点に出ます。
道路向こうに庚申塔数基が見え、その奥の道へ進みます。
右手の山に道祖神もあり。

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山へと坂を上り、俣野神社へ。
俣野神社が古道のルートなのか微妙な気がしていますが
古道散策される方の多くが訪れてますので入れておきました。

この先のルートは鳥居の前を通り過ぎ、
俣野町内の道祖神前を抜けて、下飯田交差点から
東泉寺前の道へ向かいます。

またそのうちに行くつもりです。
今回の鎌倉からの距離は約15kmでした。

撮影日:2016年4月16日(土)
*マラニックとして走ったので
あまり史跡の写真を撮っていません。

 
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2016年05月09日

鎌倉街道(古道)上道を歩く・2(葛原ヶ岡〜影取R1藤沢バイパス入口)

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葛原ヶ岡から梶原の住宅地へは最初だけ狭い道ですが
すぐに住宅地内の道路に出ます。

山の上ロータリーを過ぎて、深沢中学校の
北側へ出る坂を下ります。
大慶寺という茅葺の門がある古刹の前を通り、
湘南モノレール真下の道路を渡って柏尾川にかかる
町屋橋をめざします。

途中、左手に旧JR工場の土地が見え、こんもりとした
小山があります。道路側からは見えませんがたぶん
泣き塔があるはず。 工事で崩そうとすると事故が
起きたりと、軍も国鉄も工事を諦めた経緯がある
いわくつきのスポットです。その昔、女性の泣く声が
聞こえたとかで泣き塔とよばれてます。

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柏尾川に出たら町屋橋を渡り、小塚の住宅地を抜けて
東海道線の線路をくぐります。
正面に大きなタケダ薬品の建物が。

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村岡東二丁目交差点からタケダの脇を通り
住宅地の坂を上ります。

渡内日枝神社が見えてきます。
こちら、平将門の叔父・平良文が祀られています。

平良文関連の史跡はこのあたりに数箇所あり、
以前まわったときの過去記事はこちら。
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/100090041.html
(写真は容量の関係で削除してしまってます)。

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余談ですが。
古い地図を見ると、町屋橋から現在と反対方向に
ナナメに山へ向かう道があったようなので本来は
そっちかな? 今は存在しない道です。

赤が今回の道、日枝神社。
黄が昔あったと思われる道の方向です。
二伝院は平良文の墓があるお寺ですが、ここには
古い時期に砦があったので、古道はこちらから
渡内に向かったのではないかと勝手に推測しています。

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渡内から柄沢橋方面をめざし、柄沢橋手前を北上。
途中、隆昌院というめずらしい鬼子母神のお寺に寄り道。
柄沢の鬼子母神だそうです。

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県道312号線、島の神交差点から鉄砲宿へ向かう道で
鉄砲宿へ。 
国道1号の藤沢バイパス入口から西へ向かいます。
写真はR1沿いにある俣野別邸公園の入口です。

梶原の住宅地から藤沢バイパス入口まで、
古道のおもかげを残す部分はほとんどありません。
ちょっと古い道程度のはわずかにありますが…

続く。

撮影日:2016年4月16日(土)
*マラニックとして走ったので
あまり史跡の写真を撮っていません。

 
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2016年05月06日

鎌倉街道(古道)上道を歩く・1(鎌倉駅〜葛原ヶ岡)

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以前にも泉区内の鎌倉古道上道を旧道に沿って歩きましたが
今回は鎌倉駅を出発して、上道のスタート地点である
化粧坂(最近の表示では仮粧坂とかかれてますね)から
たどりました。

目安程度に古い地図と現在地図を比較できる地図も
持っていきました(写真)。

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(寿福寺)

上道は化粧坂から西へ向かい、藤沢市・泉区・大和市・
瀬谷区・町田市〜入間から信州方面へ向かう道です。

六浦から松戸方面へ向かう下道、上大岡あたりから高崎へ
向かう中道は古道のルートがほぼ主要道路となって現在も
鎌倉街道と呼ばれていたりしますが、上道は廃道化したり
細々とした生活道路になってる部分が多く鎌倉街道だと
知られていなかったりします。

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(十六夜日記の作者・阿仏尼の墓)

今回のルートです。
鎌倉駅-今小路・寿福寺・阿仏尼の墓-化粧坂-葛原ヶ岡
-梶原の住宅地・山の上ロータリー-深沢・大慶寺・
JR工場跡地-町屋橋-タケダ横-村岡・日枝神社-渡内-
柄沢橋付近の住宅地-鉄砲宿-藤沢バイパス入口-八坂神社
-俣野神社

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(鎌倉はシャガの花が多い)

戸塚の八坂神社の鳥居横に鎌倉街道上道の説明板があります。
先日これを見て鎌倉からたどりたくなりました。
今回のルートでは、鎌倉市6km・藤沢市5km・横浜市4kmです。

以前だったら詳細な道案内を載せるところですが、
今のぽちにはめんどうなのでこまかいことは書きません。
あしからず。

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(平景清の土牢)

崩れてるのでしょうが、平景清がおしこめられたという
土牢跡です。化粧坂に向かう途中の左手にあります。

平景清といえば、山口の秋芳洞ちかくに景清洞という
鍾乳洞があります。景清の眼病がその洞窟の水で
治ったという伝説があって、入口はルルドの泉みたいに
なっていたなぁなんてことを思い出しました。

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上道のスタートになります化粧坂です。
子供のころに通ったときより崩れていました。

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坂の途中から見下ろしてみました。

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坂の上の部分、段差がすごいです。
距離は短いですが古道らしい雰囲気ありました。
(昔はなかったロープが張ってありましたけど)

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(葛原ヶ岡の公園)

化粧坂をのぼり、少し進むと葛原ヶ岡神社に出ます。
鳥居の手前で左方面へ下りて梶原方面へ向かいます。

続く。

撮影日:2016年4月16日(土)
実は歩きというよりマラニックとして走ったので
それほど史跡の写真を撮っていません。

 
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2015年05月11日

旧東海道歩き箱根越え10(葭原久保一里塚〜関所南・駅伝ミュージアムで終了)

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杉並木の国道1号線を進んでくると左、旧街道の杉並木入口に一里塚があらわれます。

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江戸から24番目(24里)の葭原久保(よしわらくぼ)一里塚です。こちらの一里塚では標識樹が榎や欅ではなく、檀(まゆみ)が植えられていたそうです。檀は真弓とも書き、良くしなるために弓の素材に使われた木です。

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箱根旧街道杉並木の碑。

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東海道では旅人に木陰を作る目的で並木が植えられましたが、ほとんどは松並木で杉は箱根だけだとか。霧が多く松が育ちにくいために杉にしたといわれています。

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箱根の杉並木は4地区、計400本程度現存しています。4つの地区は、権現坂を下りた歩道橋の所から芦ノ湖畔までのドンキン地区、芦ノ湖畔から恩賜公園駐車場前までの吾妻嶽地区、恩賜公園駐車場から関所までの新谷地区、芦川集落の先から挟石坂までの向坂地区。

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傷んできた杉は土壌改良などいろいろと工夫されて保護されています。

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旧街道の杉並木が終わり国道1号線に合流すると、向かい側に県立恩賜箱根公園の駐車場が見えます。沿って国1を歩き、少し先の右側(向かい側)に関所と駐車場の入口。関所までの道はきれいに整備されています。

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箱根関所の江戸口御門。現在の箱根関所は1999年から2007年までかけて、江戸時代の関所を復元再建したものです。1983年に静岡韮山(現伊豆の国市)の江川文庫から「相州箱根御関所御修復出来形帳」(慶応元年・1865年)が発見されたことで、箱根関所の建物や構造物などの全貌が明らかになり、発掘調査や資料の分析結果に基づいて建物の復元や関所周辺の環境整備を行うことができたそうです。

江川文庫は韮山代官を務めた江川家の膨大な書物がおさめてあります。江川邸に行った過去記事はこちら。
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/157435164.html
江川太郎左衛門英龍関連(反射炉)
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/155440045.html

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入場料を払って門の中へ。御制札場に掲げられた関所の役割が記載された高札。

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入って左に足軽番所。手前に獄舎があります。件の処刑されたお玉は沙汰が出るまで2ヶ月牢で過ごしたとされています。ここにいたのでしょうか。

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足軽番所の前に三つ道具建(みつどうぐだて)があります。手前から刺股(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)。 足軽たちが控えています。完全復元される前の関所施設を観光したことがありますが、そのころにあった人形と大違いです。(以前のははりぼてみたいでした)。

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足軽番所にあった井戸。2001年の遺構調査で木枠が見つかり、木枠を復元したところ、2007年に井戸として復活したそうです。今でも一定水位を保っています。

足軽番所の向かい(門を入って右手)にある大番所(棟の裏側は上番所休息所)。旅人の関所改めを行った関所の中心となる建物です。役人が詰めていた面番所、休息所、湯殿、台所なども見られます。箱根で特に取り締まっていた出女の改めは面番所の前の縁側で行われました。担当は人見女と呼ばれる女性で、手形に記載されたほくろなどの身体的特徴もこっきり比べ合わせて本人確認をしたそうです。

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大番所のとなりにある厩です。厩と大番所の間を抜けると大番所の裏側になる上番所休息所(大番所と棟続き)。 

足軽番所の裏から行ける高台の遠見番所(書き忘れてましたが江戸口御門に入る前に行ける箱根関所資料館)等は時間の都合で寄らずに、京口御門を出ました。

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京口千人溜(きょうぐちせんにんだまり)と呼ばれる、旅人たちが関所改めを待つために利用された広場です。同様に江戸口御門の手前も江戸口千人溜となってます。

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京口御門を出るとお土産物屋さんなどお店が並び、その先で国道1号線にぶつかるので合流右折して進みます。このあたりが江戸時代の箱根宿の中心地です。旧箱根宿は京口の新町から箱根峠への上り口になる芦川までの、京口より西側になります。東海道を整備した当初は関所のみで宿場はなく、不便さに西国から要望が出て、幕府が西側の三島と東側の小田原から50軒ずつ移住させて宿場を作りました。その名残が三島町・小田原町と字名に残っています。そのうちに本陣が増えて、関所や本陣を旅人が敬遠して旅籠は減ったそうです。東側の江戸口には現・恩賜公園駐車場あたりに新谷町という小さな宿場もあり、合わせて旧箱根宿になります。この説明板は箱根関所南交差点から箱根駅伝ゴール(スタート)標柱の向かいにありました。

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国道1号線で旧箱根宿を進み、箱根関所南の交差点に到着。第3回旧東海道歩きのゴールです。甘酒茶屋から関所見学を含めて2時間(かからない)程度、出発地の小田原・早川口からは6時間に欠ける所要時間でした。

交差点左側に「駅伝広場」「襷TASUKI」と刻まれた彫刻(石碑)のあるスペース。この交差点を右折すると箱根駅伝往路のゴールになります。その(右側の)角に駅伝ミュージアムがあります。

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箱根駅伝の標柱。裏側は「スタート」になっています。

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箱根関所南交差点から見える駅伝ミュージアム。標柱の側から回り込むと大学ののぼりが立つ入口があります。駅伝ミュージアムに来たかったので、今回のゴールをここにしました。箱根寄木細工のトロフィーとメダル、実物を見ることができました。

撮影日:2015年4月19日(日)
所要距離:約20km(早川口−箱根関所南)
高度上昇量:938m
所要時間:約6時間

国道1号線を少し戻って海賊船乗り場隣りのバス停から箱根湯本駅までバスに乗って帰りました。国道1号線を通るバス、渋滞で湯本まで1時間かかりました。この道の渋滞は相変わらずですね。


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2015年05月10日

旧東海道歩き箱根越え9(権現坂〜湖畔の身替わり地蔵)

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八丁平から広め緩やかな下り道を進んでくると舗装路と交差します。交差する道は東海道が整備される以前の箱根越えの官道だった湯坂道です。湯坂道を示す石標が右側に建っています。その隣にはお玉観音堂があります。もう1度、舗装路に分断され、渡った先に権現坂の石標があります。急な下りになり石畳の石がゴロゴロして歩きにくくなりますが、正面の木々の向こうに芦ノ湖が見えてきます。権現坂が東坂13坂の最後の坂です。

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坂を下りきってそのまま国道1号線を跨ぐ歩道橋を渡ります(写真は振り返った向き)。旧道の両側は江戸期からの杉並木です。

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ケンペルとバーニーの碑。江戸時代、医師として来日したドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルは将軍・綱吉に会うため、元禄四年(1691年)とその翌年に長崎−江戸間で箱根を越え、帰国後『江戸参府旅行日記』『日本誌』を著し、その中で箱根の歴史、美しい自然を世界に紹介しました。
C.M.バーニーは英国の貿易商で箱根に別荘を持ち、大正十一年(1922年)に自然を大切にするようにと「日本誌」の序文を引用した碑を建てた人です。

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こちらがバーニーが建てた碑。元は芦ノ湖畔にあった別荘の敷地内にあったそうです。

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*寄り道*
**ケンペルとバーニーの碑があるところで未舗装の旧道が終了します。旧街道歩きとしては国道1号線を下るのが正しいルートなのですが(たぶん)、ここから国道1号線ではなく、お寺の裏手の道を下ると興福院(途中通ってきたお玉観音堂はこちらの別院)に出ます。門前に並んで箱根八里記念碑が建っています**

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碑のところから国道1号線を下ると箱根神社一の鳥居が建つ、元箱根港の交差点へ出ます。左側の成川美術館がある方向に進むのですが、鳥居をくぐって道路向かい湖畔側にある賽の河原へ立ち寄ります。

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賽の河原。地蔵信仰の霊地として多数の石仏が湖畔に並んでいたそうで、江戸期には130基あったものが明治の廃仏毀釈や湖畔開発などで現在は54基になりました。

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賽の河原の湖畔側に並んでいる石仏。道路側に大きなものが並んでいます。

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目の前は芦ノ湖。向こうに赤い箱根神社平和の鳥居が小さく見えます。

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賽の河原から道路を横断して国道1号線の左側に戻って進みだしてすぐ、成川美術館の入口を過ぎたところに身替わり地蔵があります。

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宇治川の先陣争いで名高い梶原景季が箱根を通りかかったとき、父・景時と間違えられて襲われましたが、近くにあった地蔵が身代わりになって助かったそうです。それ以来、景季の身替わり地蔵と呼ばれていて、背中には刀傷があると伝えられています。(背中見えない!!)

撮影日:2015年4月19日(日)


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2015年05月09日

旧東海道歩き箱根越え8(甘酒茶屋〜八丁平)

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追込坂の石標から山側の旧道はだらだらした緩やかな上り。わずかな距離で県道との間に資料館の建物が見え、甘酒茶屋の裏側に着きます。湯本の三枚橋から約3時間かかりました。(途中、走っている部分が多いのですが、説明板などで立ち止まる時間も長いです)。

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江戸時代、甘酒小屋とよばれる甘酒をふるまう茶屋が箱根八里間に13軒あり、畑宿と箱根宿の中間に位置するここ笈の平には4軒も建っていたそうです。現在は駐車場も完備の甘酒茶屋1軒と資料館が県道沿いに並んでいます。日曜だからかお店の中は人でいっぱい、待っている人もいたので寄らず。名物は甘酒と力餅。力餅は味が数種あるそうで食べてみたかったのですけど。

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外に展示されていた駕籠。普通の駕籠よりかなり軽量化されているように見えます。

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甘酒小屋の裏手から石畳の旧道を進みます。この於玉坂(おたまざか)は、関所破りをしたお玉という少女が処刑されたところと伝えられています。元禄十五年(1702年)、伊豆大瀬村の農家の娘たまが江戸の奉公先から郷里へ逃げ帰る途中、手形がないために関所破りをして打ち首獄門。その首を洗ったとされる薺ヶ池(なずながいけ)は人々から、お玉ヶ池と呼ばれるようになりました。県道732号線沿い、お玉ヶ池のそばに供養塔があります。於玉坂の石標も塚のようになっていて小銭がおかれていました。

箱根の関所破りで死罪になった人数は江戸幕府300年でたったの6人なのだそうです。関所で取り締まる「入り鉄砲に出女」、箱根関所では入り鉄砲検査はしておらず、出女を警戒した女性に厳しい関所でした。が、関所破りをしようとして山中で捕まった人のほとんどは「藪入り」という道に迷った人という扱いですまされ、重くても小田原藩領追放の処罰だったそうです。農家出身の奉公人お玉が出女と疑われることはまずないので、見せしめとして処刑されたと考えられています。その時代の政府の思惑や、奉公先から逃げたということなどからなのでしょう。運が悪かった少女… 所縁の地に名を残し、供養され続けてきたのもうなづけます。

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於玉坂を過ぎてまもなく県道732号線に出ます。横断した先から旧道が続きます。

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白水坂(しらみずざか)。

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石標によると十二間(約22m)と短い坂ですが、縦の排水路の遺構がとてもよく残っている坂です。

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石畳の構造と縦の排水路についての説明。

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排水路が整然としてきれいな道が続きます。

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白水坂の終盤と思われるあたり。その先に天ヶ石坂が続くのですが、石標を見落としてしまいました。天ヶ石坂(てんがいしざか)は天蓋石と呼ばれる大きくせり出した岩があったことから、元は天蓋石坂と呼ばれていたそうです。天蓋石は古くに崩れています。

天ヶ石坂の石標のそばに大きな岩があり(崩れた天蓋石のことか不明です)、豊臣秀吉が小田原攻めの時に九頭竜弁才天のお告げにより引き返した「変更石」とされています。これも気づかずに通り過ぎました。たぶん、足元しか見てなかったかと…。

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天ヶ石坂かその先の石畳。苔むしていて滑ります。

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坂をのぼりきると東坂(東海道箱根の江戸側の道)で最も標高が高くなるあたり(標高約800m)に出ます。少し平坦な八丁平と呼ばれるところで、「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」の馬子唄が刻まれた石碑があります。

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ここから見える二子山についての説明板もあります。

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二子山。畑宿から於玉坂あたりまでずっと麓を歩いてきた二子山が見えます。ここを過ぎると芦ノ湖に向かって下りになります。

撮影日:2015年4月19日(日)


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2015年05月08日

旧東海道歩き箱根越え7(橿木坂〜追込坂)

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県道732号線の七曲りを上ってくると、左側に階段があらわれます。往時は急峻な坂で雨降りや雨上がりなどは体を沈み込ませながらその急な坂を往来したという橿木坂(かしのきざか)。現在の道路が七曲りになっていることを考えても傾斜のきつさはわかります。崩落で元の坂はなくなり、階段となりました。

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橿木坂について『東海道名所日記』には、『けわしきこと道中一番の難所なり。おとこかくぞよみける。橿の木の、さかをこゆればくるしくて、どんぐりほどの涙こぼる』と書かれているそうです。

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一旦県道に出る階段を続けて上ってくると箱根方面と見晴台へ行くルートにわかれます。元箱根へは左ですが、正面を上って行くと見晴台へ出ます。茶屋のある見晴台は県道で行けますので立ち寄らず。

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左のルートを進みます。先に少し広くなったところがあり、木のベンチも2つ並んでいて休憩できるようになってます。

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その先に山根橋という小さな木橋。

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甘酒橋。

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きつい橿木坂の階段分岐からは傾斜も緩やかで石畳の凹凸もあまり感じない道が続きます。

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前方に階段が見える傾斜のきつくなった所に、猿滑坂(さるすべりざか)の石標と説明板。『新編相模国風土記稿』に『殊に危険、猿猴といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす』と難所らしい坂の名の由来がかかれているそうです。

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猿滑坂の説明板の先にある県道へ出る階段。本来の坂はこの階段の辺りから県道をまたいだ先の階段歩道の辺りだそうです。箱根越えで1・2を争う難儀な坂はどちらも崩落し、旧道の姿を残すことも難しかったようです。

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階段を上り県道を横断すると、県道を見下ろす階段歩道が続きます。現代の石畳歩道です。まだ桜が咲いていました。(この写真はカーブに沿った歩道の階段途中から撮ったものです。歩道橋にはなっていません)。

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石畳歩道の階段を下り、そのまま少し歩道を歩くと右側に追込坂(おいこみざか)。万葉仮名で「ふっこみざか」と残るため、そう呼ばれていたかもしれないとのこと。横の階段から山側の道を甘酒茶屋(左方向)へ進むゆるやかな上り坂のこと…でしょうか。甘酒茶屋のあたりにある現在の旧街道は本物の旧街道ではないらしいので、追込坂ももしかしたらもう少し違う場所だったかもしれません。

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横に大きな石碑と説明板がありました。浄土真宗の祖・親鸞聖人が弟子と別れた場所だそうです。

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石碑はここに建ってますが、笈の平(おいのたいら)は甘酒茶屋の辺りだそうです。

撮影日:2015年4月19日(日)


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2015年05月07日

旧東海道歩き箱根越え6(畑宿一里塚〜西海子坂)

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畑宿は江戸時代、間(あい)の宿として茶屋や本陣がありました。箱根細工の里としての起源は木地挽きで、小田原北条氏の時代にさかのぼるそうです。江戸中期以降は寄木細工や象嵌細工が中心になりました。

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本陣跡バス停前の建物など、趣きある建物も見られる街並みですが、歩いている人が多かったので写真は無し。説明板や木製の碑の前にも車がぎっちり止めてあり、こうした写真を撮るのも精一杯の状態でした。

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本陣は茗荷屋という屋号の旧名主の屋敷でしたが、大正時代に火災で焼失。美しい日本庭園は残っているそうですが立ち寄らず。

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無料の休憩所があります。寄木細工のお店や実演が見られる会館もあります。箱根駅伝往路の優勝トロフィーとメダルは寄木細工で作られていて、その写真なども掲示されていました。

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畑宿の駒形神社。

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まっすぐ進むと一里塚、右の階段をのぼると守源寺。

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守源寺は寛文元年(1661年)に創建された日蓮宗のお寺。箱根七福神の大黒天ののぼりがいっぱい。

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江戸側から進むと町外れに位置する畑宿一里塚です。江戸から23番目(23里)。現在では数少ない当時の姿を見ることができる塚です。明治時代に削り取られたりしていたものを、発掘・文献調査によって復元。

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直径約5間(9m)の円形に石積みを築き、小石を積み上げ、表層に土を盛って頂上に標識樹として(江戸側から見て)左にケヤキ、右にモミが植えられています。

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一里塚の双塚の間を通って進むとあらわれる石畳の急坂。

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写真に撮り損ねましたが、箱根新道を跨ぐ歩道橋も石畳になってました。

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西海子坂(さいかちざか)。東坂では6番目に現れる坂です。

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畑宿一里塚過ぎの石畳に比べると歩きやすい石畳。
西海子坂については坂の全長がどの部分なのか疑問を持ったまま解決できていません。石標に「登り二町許」と刻まれているので220mほどの距離の坂とわかりますが、石標から現在の県道・七曲りに分断された次の橿木坂へ向かう部分で現存している部分が少なくなった道なのか、それとも畑宿一里塚を過ぎた急な石畳部分から始まる坂なのか。箱根新道を渡った先には石畳を流れる雨水対策として斜めに設けられた排水路なども見られる所があります(説明板あり)が、ここも西海子坂に含まれるのでしょうか。

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県道732号線の七曲りを歩くとヘアピンカーブのショートカットになる階段があります。(こういったあたりも本来、まっすぐ上っていた坂道だったのか気になるところです)。

撮影日:2015年4月19日(日)


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2015年05月06日

旧東海道歩き箱根越え5(割石坂〜大澤坂)

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県道732号線に出たところで道路を横断、坂の上り、右側に自然探勝歩道の続き、割石坂の入口が見えます。割石坂の名は曽我兄弟にあり、曽我五郎が富士の裾野へ仇討に向かう途中、刀の切れ味を試そうとここの大石を断ち割ったことからついたそうです。

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江戸時代の石畳がそのまま残っています。

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割石坂から畑宿までは約1km。坂はおよそ100mちょっと。石畳を味わいながらのぼります。

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石畳の旧道(自然探勝歩道)から県道732号線へ出る所に、接待茶屋があったことを示す説明板があります。箱根の接待茶屋は今もバス停などに名を残す三島側の施行平が有名ですが、こちらも同じ頃(文政七年・1824年に幕府から許可が出た)に設置されたようです。

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県道732号を横断し、1段高くなった歩道で緩やかな坂を上ると左手に旧街道の入口があらわれます。石畳の急な下り坂です。

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大澤の木橋。

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ふたつある木橋を渡り、また石畳の坂をのぼります。

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その坂が大澤坂。

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写真で見るより急な上り坂です。

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石畳のあちこちが苔むしているので雨上がりなどはかなり歩きにくそうです。

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個人的にはこの大澤坂が、今回歩いた東坂(関所より江戸側)の13坂で1番、往時を偲ぶ風情を感じて雰囲気に浸ることができた坂でした。

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坂をのぼりきると畑宿の県道に出ます。最初の石畳から約1時間半かかりました。

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接待茶屋跡の説明板のところに出ていた、箱根路の変遷について。古い順に、碓氷道→足柄道(奈良・平安)→湯坂道(鎌倉・室町)→旧東海道→国道1号線(現東海道)となります。

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おまけ。同じところに並んでいた須雲川自然探勝歩道についての説明板です。通学路…これが小学生の通学路だったなんて〜。やっぱり昔の人は子供のうちから健脚ですね。

撮影日:2015年4月19日(日)


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posted by ぽち at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 旧道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月05日

旧東海道歩き箱根越え4(女転し坂〜発電所前の丸木橋)

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鎖雲寺から県道を100mちょっとの左側、須雲川自然探勝歩道の入口があらわれます。

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あまりの急坂に落馬した旅の女性が亡くなったことから「女転し(おんなころばし)坂」の名がついたと言われている坂は、関東大震災で崩落して現在はありません。女ころがし坂、女ころし坂とも言われていたようです。

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木造の「須雲橋(すくもばし)」。

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須雲川を見下ろせます。 江戸の昔、箱根山中では山賊(追いはぎ)が出没して、旅人の身ぐるみをはいだ後、直接殺したりせずに崖上から須雲川へ突き落したそうです(福壽院・箱根観音の創建もそんな被害者の生き残りです)。

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目線を遠くに向けると、まだまだ桜が咲いてました。

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自然探勝歩道は路面が平なのでマラニックで走りながら進みましたが、こんな風に植物が倒れかかっていたり、蜘蛛の巣が張っていたり(顔でしっかり受け止めてしまった!!)と、歩を阻まれること多めのワイルドさがありました。朝早かったからなのかもしれませんが。

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畑宿発電所のあるところ。

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なんと丸木橋で川を渡るようになってます。

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案内表示のところにしっかり注意書きあり。発電所の脇をのぼっていくとつり橋があるので、増水時はそちらを使うようです。

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丸木橋を渡ります。

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渡った先は石が敷かれた階段。一部は旧東海道の姿がそのまま残っているそうです(どれかよくわからず)。階段をあがると、新興宗教の絢爛な施設を見ながら県道732号線へ出ます。次の旧道の坂は県道に出たところから、上った右側に見えます。

撮影日:2015年4月19日(日)


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