2011年04月10日

泉区の石塔・石仏39(和泉町・密蔵院)

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和泉町727番地にある密蔵院。入口に木食観正碑があり、境内の
鐘楼横に板碑などがあります。

鐘楼横には宝篋塔、板碑などがきれいに並べられています。

写真向かって右から。
建立年不明の宝篋塔(台石の裏側に宝篋塔と刻まれてます)。
その横後方、元禄十四年(1701年)阿弥陀如来。手前が板碑、
板碑横後方が宝永六年(1709年)合掌した地蔵(と思える)。
横手前、元禄四年(1691年)阿弥陀如来。
横後方、天和三年(1683年)阿弥陀如来。
横手前、慶安元年(1648年)の蓮を持つ聖観音(たぶん)。
横後方、慶安二年(1649年)如意輪観音。
横手前、建立年不明の合掌した地蔵(と思える)。
横後方、貞享四年(1687年)右手に錫杖、左手に宝珠を持った地蔵。

刻像の形状はすべて舟型。
阿弥陀如来刻像はほぼ施無畏印・与願印(右手胸前にあげててのひらを
向け、左手は下にしててのひらを向ける)。
…というか、施無畏・与願印なので阿弥陀如来と判別しました。
合掌の刻像はわからないのですが地蔵菩薩に分類しました。

石仏の年代、泉区の中でも古いものが多いです。
刻像の横あたり、戒名とその上に「為」と彫られているので
お墓ではないかと思います。
石仏の如意輪観音は女性のお墓だと言われています。
ちなみに密蔵院の墓地には新しい(現代一般的な)お墓のほかに
こういった石仏スタイルのお墓も多くあります。

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南北朝時代の貞和三年(1347年)の板碑です。
地蔵院にあったものと言われています。

いずみ中央近くの長福寺に保存されている板碑も、同じ貞和三年銘があった
五輪塔と共に泉小次郎馬洗いの池に水没していた島にあったものです。
板碑は鎌倉武士の信仰によって流行り、中世かつ鎌倉武士に関連する地に
見られるものだそうです(これも多くは墓石です)。
作られた時期が同じなのもうなづけますね。

mituisi3.JPG

梵字はほとんど読めません。貞和三年というのもどこでわかるのか不明。
どこかで刻まれている梵字がキリーク(阿弥陀如来)だというような情報を
みかけた気がするのですが…わかりません。

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こちらは密蔵院入口に建つ木食観正碑です。
石塔としての分類は板碑型にしていいものか悩みます。

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文政四年(1821年)建立。梵字はア(アークではありませんが大日如来を
さし、すべての最初という意味のある言葉)。その下に「南無大師遍照金剛」、
「木食観正」と刻まれています。

木食観正についてはこちらの過去記事参照:
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/133208544.html

撮影日:2011年4月10日、3月27日

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2010年10月09日

泉区の石塔・石仏38(和泉町)

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下和泉南郵便局の交差点の近く、和泉町1372あたりの角に建つ庚申塔などです。
石塔2基のまわりに大きな石が…。崩れたものかどうかはわかりません。

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なんともユニークなお顔になってしまっている(たぶん)青面金剛刻像の
庚申塔です。よく見ると合掌している手の他の腕の彫りがうっすらと見えます。

文字等の彫りは見つけられませんが、史料にここと思しき旧番地に
「庚申塔・享和三年」(1803年)とありましたのでそれかもしれません。

yubin3.JPG

何かの文字塔のようですが読めません。
上記の史料には庚申塔1基についてしか書かれてなかったのでまるで不明です。

撮影日:10月6日(水)

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2010年10月07日

泉区の石塔・石仏37(和泉町)

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和泉町696、赤い鳥居と稲荷に密蔵院入口の表示がたつところ。
隅に石塔が並んでいます。

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お稲荷さんの社は最近こんな感じで半開きのままです。
…鳥居はくぐらず、あいさつしないで隅っこへ写真を撮りに行った
ばちがあたったかもしれないぽちふらふら(→チャドクガの記事)

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崩れた石灯篭の横に5基。

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向かって右から。寛文十一年(1671年)建立の庚申塔です。
三猿がいます。

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「馬頭観世音菩薩」の文字塔。建立は天保十三年(1842年)。

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刻像の上に「東」とあり、「西国」「秩父」の文字に、亀裂が入っていますが
横に「百」「供養塔」とあることから、刻像は観音さまで「東国・秩父・西国の
百観音札所巡礼の碑とわかります。が、巡礼した記念の巡拝塔なのか
これを建てることで巡礼のかわりになるとかなのか知りたいところです。
建立年不明。

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「馬頭観世音」の文字塔です。建立は文政七年(1824年)。

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大正四年(1915年)建立の道祖神、文字塔です。

撮影日:10月6日(水)

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2010年10月06日

泉区の石塔・石仏36(和泉町・並木谷戸)

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和泉町5284あたりの道路脇に建つ石塔です。
並木谷戸の町内会掲示板があります。

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向かって右の小さい石塔。
表面はすべてはがれているようで何もわかりません。

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真ん中の背の高い石塔。
こちらもほとんどはがれていますが、側面に「味(?)泉郷」「密蔵院」の
文字が残っていました。
密蔵院が導師をつとめて建てた石塔のようですので、庚申塔の
可能性は高そうですね。

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向かって左は刻像のおぼろな輪郭とふくらみが残っています。

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崩落しかかっている側面に、ギリギリで「庚申」の文字が残っていました。
おかげで庚申塔だとわかりました。

掲示板下にある2つの台石のようなものは何もわかりません。 

昭和40年代に編纂された郷土誌にはこの所在地(旧番地)に、
「明和四年纏量丁亥王子」と刻まれた庚申塔(などの石塔)1基があると
出ていました。刻像と庚申の文字が残るものがそれかもしれません。

同じ本にこの近く、旧番地の5275に文化四年の庚申塔(などの石塔)が
2基あるとでてましたが、見つけられません。
ここに並んでいるもの(残りの2基か台石)と思って間違いなさそうですが
3基の区別がつきません。

撮影日:10月6日(水)

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2010年10月01日

泉区の石塔・石仏35・双体道祖神とお地蔵さま(和泉町)

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和泉町1500の角に建っているお地蔵さまと双体道祖神です。
となりに石柱型の軍人碑も建っています。

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和み系と思しき双体道祖神。
二つに折れたものを乗せてなおしてありました。
建立年など不明です。

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丸い光背のお地蔵さまはあまり見かけない気がします。
建立年など不明です。
*明治十年建立と郷土誌にありました。

今日、地蔵院のご本尊が密蔵院にあるかどうかや、移されたという板碑を
探しに行きました。板碑は境内にある写真を見たことがあったのですが、
以前見つけられなかったのです。一応写真にあったそれらしいところを
探しましたが見つけられず。地蔵菩薩も境内にはいらっしゃいません。
本堂は相変わらず施錠されていたので中は見ていません。
地蔵院跡付近を探してみましたが徒労。でも地蔵院跡の石仏の奥に大きな石碑が
あるのに気づきましたので、先日の記事「泉区の石塔・石仏34」に追記しました。

撮影日:10月1日(金)

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2010年09月26日

泉区の石塔・石仏34・地蔵院跡(和泉町)

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和泉町737あたり、民家と小道にはさまれたところ、墓地と隣り合わせに
石塔・石仏が多く並んでいます。

密蔵院近くにあった密蔵院末寺の地蔵院跡とされているところです。
隣の墓所の一族のご先祖さまが14世紀にここへ地蔵菩薩を安置したのが
地蔵院の始まりだそうです。
明治中期に住職が他界後、廃寺同様となり、大正の台風で堂宇が倒壊。
その後、昭和10年にお堂を建設したそうですが、ご本尊ともども今はありません。

このお堂、昭和48年には現存していたようです。ご本尊は高さ1尺8寸の
木造とのこと。地蔵院は板碑もあったそうで、1基は密蔵院に移されているそうです。

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地蔵院跡だけあって、いろいろな姿、持ち物の地蔵菩薩刻像を
まとめてみることができます。

こちらは「奉再興 地蔵菩薩」と施主名(僧と思われます)が刻まれています。

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持ち物のこれは何というものでしょうか。
牡丹灯篭にでてくる房のついた灯篭みたいに見えますが…。

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こちらもお持ちです。

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刻まれた文字を見ると「六地蔵」となっていました。
延宝八年(1680年)建立。

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手が欠損していて、持ち物か印かわかりません。

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鉢を持っているような。

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などなど。

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お地蔵さまから墓地側を振り向きます。

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半跏思惟というのか如意輪観音のようなポーズ(輪王坐?)の、割とよく見かける石仏。
こちらについて知りたいと思いつつ、特に調べてません。
以前、石仏にウインクされる夢を見ましたが(汗)、このタイプでインドの
神様風お目目ぱっちりの石仏でした。

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同じタイプのポーズです。
建立は元禄十六年(1703年)。

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智拳印を結んでいるようなので大日如来かもしれません。
建立は貞享二年(1685年)と読めるような…。

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こちらも法界定印を結ぶ大日如来のようです。
天保八年(1837年)建立。

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割れたものを乗せなおしたお地蔵さまです。

jizoinhi.JPG

小道沿い奥に植物の中建っていた大きな碑。
文字等刻まれているに違いないのですが、正面は民家のほうを向いていて、
その塀との間はほんのわずか。横から覗き込むには、雑草が減る冬でないと
無理そうです。

撮影日:9月22日(水)、10月1日(金)

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2010年09月02日

伊豆の石塔・石仏4−文覚上人と頼朝関連(函南町)

mongakutijin.JPG

柏谷横穴群の近くに「六萬部寺」という変わった名前のお寺を地図でみかけました。
ちょっと寄ってみようと向かったものの、目印になる「天降神社」の前を通り、
違う方向(町立東中学校)へ行ってしまいました。
その途中で道路際、小高くなったところに石塔発見!説明板みたいなものも見えます。

地図を再度チェックして(そんなに細かく出ていないので意味がないのですが)、
道を間違えてせっかくなので(?)、歩いて気になった石塔を見に行きました。

mongakutijin2.JPG

おおぉ〜揺れるハート 文覚上人と源頼朝由来の石塔ですって!
しかも文覚上人が旗上げ前の頼朝をここに連れてきて富士山を見せた場所なんですって!
「天下人たるものはあの富士山の如く泰然として、下々からあがめ畏敬される仁徳を
持たなければ」と文覚上人が教えたとか。
このエピソードは聞いたことがありましたが、まさかこことは…。

後に文覚上人が水利法を教え、荒地を水田にしてこの地の収穫量を数倍にしたことから
死後、地神として埴安之神とともに祀ったそうです。天保十五年(1844年)建立。
埴安命(埴安之神)というのはイザナミが死ぬ寸前出したンコから生まれた地の神さま。う〜ん。

観光ガイドにも地図にも特に書かれていない、個人的にはほんと偶然みかけた場所が
こんな歴史的エピソードの場所だったなんて〜。うれしい限り。呼んで貰えたのかしら。

amefuri1.JPG

おまけ。目印にしていた天降(あまおり)神社です。
「向原鎮守天降神社」、説明板などがないので由緒がわかりませんが、
狩野川台風の歴史を読んでいて、「仁寿元年(851年)」の地震の記録が
天降神社の社記にあるというのを見つけました。
なので、かなり歴史のある神社のようです。

amefuri2.JPG

石段途中にある灯篭は文久二年(1862年)建立のものでした。
ちゃんと写真を撮ればよかった…。

地神塔:田方郡函南町柏谷466近く 駐車場なし
天降神社:田方郡函南町柏谷443 駐車場なし(駐輪スペースあり)
撮影日:8月20日(金)

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2010年09月01日

伊豆の石塔・石仏3-伊豆ではめずらしい双体道祖神(函南町)

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県道11号線から田代の集落へ入ってまもなく見える双体道祖神です
(田方郡函南町田代358あたり?)。県道は函南駅方面から熱函と
分かれた側で、雷電神社や駒形像の標示の先で「火雷神社」
「メルヘンの里」の標示を見て県道から脇へ入ります。

sotai2.JPG

伊豆では双体道祖神はめずらしく、単体で丸彫りの「伊豆型」と
称される道祖神が普通のようです。
田方郡では5基の双体道祖神があり、そのうち函南町に4基認められています。
この田代の道祖神が中でもはっきりと彫りが残っているもので、
享保二年(1717年)と建立年が残っているのは唯一だそうです。
「田代村」というのも読み取れます。

sotai3.JPG

道祖神の横、木の陰でひっそり建っていました。
馬頭観音でしょうか。

sotai4.JPG

こちらは丹那断層の近くで見つけた双体道祖神です。
(函南町丹那713あたりかと)。
道祖神の像そのものは田代のものより彫りが残って見えますが
文字等は一切わかりません。

双体道祖神が好きなぽちですが、「伊豆型」という単体丸彫りの
道祖神がどういうものか見てみたくなりました。
もしかしたらそれと気づかずに見てるかもしれませんけど。

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伊豆の石塔・石仏2(伊豆の国市・函南町)

hosuiro1.JPG

県道129号線沿い、狩野川放水路近くのカーブしている所(伊豆の国市
北江間297あたり)に建つ石塔です。

向かって左は「庚申供養塔」の文字塔で建立年は不明です。
真ん中は「大山不動明王」「三十三*所願成就」とある享保十九年(1734年)
建立のもの。こういうのって所願成就を願って建てるもの?
三十三の何か(不動明王巡礼?)を達成した記念に建てたものなのでしょうか。

右の大きな彫りのは「天下」が読めますが他不明です。
右手前の小さいのは読めそうで読めません。

byakuun1.JPG

こちらは田方郡函南町柏谷の公民館敷地に建っている石塔・石仏です。
県道136号線から柏谷横穴群方面に曲がったところ(函南町柏谷905
あたり)にあります。

公民館が建っている土地はもともと白雲庵という、弘法大師真作の地蔵尊を
祀っているところで、「伊豆のお伊勢さま」とよばれた城山神社へ参拝する折に
この白雲庵で斎戒沐浴したそうです。

現在は薄れかけた説明板と石塔・石仏が並んでいるだけです。
近くの養源寺が今も祭礼をとりおこなっているそうです。

六地蔵は60年ごとに再建される決まり。横は灯篭1基、庚申塔2基。
安政二年(1855年)に天然痘が流行り、子どもが多く犠牲になったため、
その弔いと予防(祈願)のために庚申供養と六地蔵建立をしたと
説明書きにありました。

byakuun2.JPG

無縫塔と石塔ですが表面がほとんどわからなくなっていました。

柏谷横穴群の帰りに見かけて気になっていた石塔だったので、今回
立ち寄りましたが、思いのほか由緒のある場所、来歴に驚きました。
伊豆はこういうの多いかも。

撮影日:8月20日(金)

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2010年07月28日

戸塚区の石塔・石仏19・東俣野中央公園隣りの八坂神社(東俣野町)

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東俣野中央公園となりにあるもうひとつの八坂神社。

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鳥居に向かって右に建つ庚申塔です。
上部に日月、「庚申塔」の文字、下部に三猿が彫られています。
天保十年(1839年)建立。

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鳥居に向かって左手前に建つ双体道祖神。
建立は文化十二年(1815年)。

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双体道祖神の後ろには4基並んでいます。
右の石祠2基は詳細不明です。

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向かって左端は庚申塔。
青面金剛と正面・側面に三猿が1体ずつ彫られています。
青面金剛の持ち物は、右手上から剣(たぶん)・羂索・棒(たぶん)、
左手上から法輪・矢(たぶん)・弓です。
延宝七年(1679年)建立です。

yasakab4a.JPG yasakab4b.JPG yasakab4c.JPG

三猿です。正面にいるのはきかざる。

yasakab5.JPG

「南無阿弥陀佛」の文字が刻まれた念仏塔です。
建立は延宝三年(1675年)。

yasakab5a.JPG

お念仏の下には不思議な方がいらっしゃいました。
台座の蓮の花の上で腰掛けているようなポーズのこの方。
一体どういうお方なのでしょう…?

八坂神社過去記事:http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/157134043.html

撮影日:7月21日

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