2010年08月23日

丹那断層と火雷神社2(田方郡函南町)

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函南町田代にある火雷神社。
天然記念物の丹那断層と同じく、北伊豆地震で断層が表面に出ています。

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現在の鳥居と参道の石段は地震後に作られたものです。
こちら側が昔の石段で、手前の柱が地震で崩れた鳥居の(向かって左側の)
柱になります。写真の撮り方がヘタでズレがよくわかりませんねぇ。
石段に正面を向くと、一直線に並んでいた鳥居が石段の端から1mほど
ズレてしまっているのを見ることが出来ます。
石段の向かって右下、縁石と石段がズレてしまってるのはわかりますね。

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図にするとこんな感じです。
鳥居と石段の間なんてほんのわずかなスペースなのに、そのスキマに
断層が入ってしまってます。

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断層の向きが木の矢印で示されています。
上から見ると断層線がはっきりわかります。

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鳥居と石段の間に断層がっ!ということで注目された神社なので仕方ないと
思いますが、忘れがちな拝殿です。ごあいさつだけはしておきます。
神社の由来などをちゃんと見るのをすっかり忘れてました。
平将門が信奉した火雷天神と同じかと思ってたら、関係ないらしいという
ことだけ読んだのですけど。

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境内社は奥から八幡社、山神社、八坂神社です。

火雷神社のあるところは県道11号線の旧道から、メルヘンの里という標示に
したがって山あいの里に入って行ったところです。
メルヘンの里(お花畑か何かがあるらしい)には行ってませんが、十分に
民話の里の雰囲気がある集落でした。
伊豆ではめずらしい双体道祖神もありました〜。

地震の断層や地層なんて見たことがなかったので、丹那断層・火雷神社の
断層には驚きました。先に訪れた北条寺(北条義時のお墓がある)の近くにも
「地震動の擦痕(すりあと)」という天然記念物があるようですが、
車を停められなくて行っていません。
なんでも魚雷に地震の揺れでついた傷があるのだとか。

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2010年08月20日

丹那断層と火雷神社1(田方郡函南町)

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国指定天然記念物の丹那断層。
丹那盆地の函南町畑のやや山に囲まれた所に公園として整備されています。

丹那断層は50万年前から1000年周期で2mの移動をくりかえしてきた
活動度の高い断層帯で、長さは芦ノ湖から修善寺までの約30kmに及ぶそうです。
ここにあるのは1930年(昭和5年)に発生した、震源地の丹那盆地で震度7相当、
マグニチュード7.3という北伊豆地震(伊豆大震災)での痕跡です。

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北伊豆地震当時、民家の庭があった場所です。
断層のズレの向きを3ヶ所の木製の矢印が示しています。
わかりやすいように紫の線で結んでみました。

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見づらいですが、まっすぐだった水路の石垣が大きくズレています。
線が断層の向き、丸が分かれてしまった水路の石垣です。
左に大きく動いた「左横ずれ断層」がそのままわかります(でも見ただけだと
左と右のどちらに動いたのかはわからないんですけどねあせあせ(飛び散る汗))。
ここでは最大2.6m、断層帯では最大3.3mもずれてるのですって。

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水路のとなりにあった円形の塵捨て場だそうです。
円形の石垣が真ん中から半径分くらいズレています。
石垣のズレをそれぞれ黄色丸、赤丸で示しました。
こんなにも地面がズレるなんて…。
直下型だったそうなので一瞬でこれだけ動いたのですねがく〜(落胆した顔)

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横には掘り下げた地下の断面が展示されています。
左右で地層がまるで違っちゃってますね。
この断面の向かいに掘り下げられた側は4層がズレていました。

北伊豆地震では丹那盆地で掘削中だった東海道本線の丹那トンネルが甚大な被害を受け、
両側から作っていったトンネルが2m以上もずれたそうです。

丹那盆地から函南町田代(田代盆地)にある火雷神社あたりまでに地形が
はっきり現れているということで、そちらにも行ってきました。

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丹那盆地に来たのははじめて。いつもは熱函道路、山中の丸印から眺めおろしてました。
朝は霧がたちこめて何も見えなかったりしますが、見えるときは田園風景の美しさに
みとれてます。上から写真を撮りたいのだけど、車を停められるところが無くて…。

丹那断層:無料駐車場あり
撮影日:8月20日

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2010年08月19日

国清寺塔頭の高岩院(伊豆の国市)

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伊豆の国市奈古谷にある国清寺の塔頭のひとつ、華頂峰・高岩院。
石柱には名前のほかに「臨済宗円覚寺派」「豆国八十八ヶ所十五番」
「国清寺塔頭奉行職之寺也」とありました。
塔頭奉行職なんてある(あった)のですね。

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往時には80院あったといわれる国清寺の塔頭。
今残っているのは4院だけです。
高岩院は国清寺に隣接して建っています。
こじんまりと手入れの行き届いた境内でした。

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高岩院の境内に建っていた六地蔵。

国清寺にはご住職はおらず、他の塔頭のご住職が兼務されています。
こちらの塔頭も通常は無住なのかもしれません。

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2010年08月15日

建長汁ならぬ国清汁の国清寺(伊豆の国市)

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伊豆の国市奈古谷にある臨済宗円覚寺派の天長山国清寺(こくしょうじ)。
室町時代には関東十刹のひとつに数えられたお寺です。
高くそびえる木にかこまれ、やや薄暗い参道入口。

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最初に目にするのは「祈祷」の額がかかる仏殿(釈迦堂)です。
ご本尊は釈迦如来。

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山のふもとに広がる境内地は広大で、現在は中腹にある毘沙門堂も含まれます。
こちらは本堂です。「坐禅会」の札がかかってます。

建立は1362年。伊豆国の守護をしたこともある北朝の武将・畠山国清が創建、
1368年に関東管領の上杉憲顕が本格的な寺として修築したと伝えられています。
が、畠山国清と直接関係はなく、上杉憲顕が実際の開基だろうと郷土史研究では
結論付けられているようです。

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本堂の横とななめ前に庫裡と鐘楼があります。
往時は塔頭が80ほどあった壮大なお寺だったそうです(現在残る塔頭は4院)。

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本堂前の境内に並んでいる六地蔵。

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本堂にかかっている額。

ここ国清寺には精進料理の国清汁というのが伝わっているそうです。
建長寺の建長汁は全国的に有名ですが(一般的には鶏肉が入ってしまってますが
本来の建長汁は肉なし)、国清汁というのは初耳でした。
同じ臨済宗の精進料理で、醤油仕立てが建長汁、味噌仕立てが国清汁のようです。

国清汁について詳しくは:http://www.komanoyu.jp/kunikiyo.htm

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開山塔。

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この奥に進むと畠山国清と上杉憲顕の墓所、五輪塔が並んでいます。

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境内でみかけた「般若塔」の石塔です。初めて見ました、般若塔。
般若経奉納の記念に建てたものなのでしょうね?

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こちらは駐車場までの道沿いにある「鳳林庵地蔵尊」です。
珍しいお姿に新しいものかと思いきや、300年ほど前に刻まれたものと説明板に
書かれていました。詳しくは↓

kokusho10.JPG (クリックで拡大)

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鳳林庵地蔵尊のそばに建っていた石塔とお地蔵さま。
石塔には「宇賀神将王菩薩」「大小」「眷属」と刻まれています。
宇賀神は穀、水、福徳などの神様ですね。弁財天なんですが、「宇賀神」だと
ぽちは白髪白髭の老翁をイメージしてしまいます(たぶん銭洗弁天のエピソードの
影響と思われます)。

国清寺:無料駐車場少し有、拝観料なし(本堂・仏殿は閉まっています)

撮影日:7月12日、8月2日

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2010年07月25日

韮山の代官屋敷・江川邸(伊豆の国市)

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江戸時代、世襲で韮山の代官を務めてきた江川家の屋敷です。
韮山役所跡でもあります(庭に役所跡の地を見ることが出来ます)。
国の重要文化財です。

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どーんとかまえる門。
江川家は源氏の祖と呼ばれる源満仲の次男・宇野頼親を家祖として、6代目が
保元の乱(1156年)で敗れて伊豆へ落ち延び、住み着いたと伝えられています。
源頼朝の旗上げに加勢して以来、伊豆の豪族として栄えた旧家です。

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門をくぐって、玄関です。門と玄関に見覚えある方もいらっしゃるかも。
こちらはNHK大河「篤姫」の実家・島津今和泉家としてロケに
使われました。門の手前には篤姫のポスターや、篤姫の父を演じた
長塚京三さんの写真などが貼ってありました。

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余談ですが、このすぐ近くに平安末期の判官・山木(平)兼隆邸跡が
あります。NHK大河「草燃える」で兼隆を演じたのも長塚京三さんでした。
写真を見たとき、つい草燃えるの写真かと…(紋付羽織でおかしいな〜ってたらーっ(汗)

係りの人に山木邸跡が無料駐車場手前の道路の標示から近いのかどうか
聞いたところ、「近いけれども住宅地で何もない」と教えていただきました。

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韮山役所跡が見える庭を通過して(ぐるっとまわって)、土間から入場。
広い土間にはカゴや人力車なども展示されていました。

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土間の天井です。木と竹で通気性よく出来ているようです。
結構、壮観な天井でした。

13世紀に日蓮聖人をこの家に迎えて供養を尽くし、日蓮聖人から「この
旧家がなお繁栄するように」と自筆の棟札が贈られたそうです。
天井の1番高い所に木箱に入れておかれてあり、700年以上、火事を
出したことがないというご利益があるとか。

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土間から中へあがり見学します。
ガイドさんからお話をうかがいながらまわることもできます。
これは江戸時代の高札です。

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名代官といわれる江川太郎左衛門英龍(坦庵)。
幕末に伊豆をおさめていた代官ですが、お台場や反射炉の築造の提案・
実行から造船・教育・医療と新しい技術などに取り組み、領民にも敬われ、
芸術にも優れた才能を持った人だったようです。

隣の韮山郷土資料館の企画展示で英龍の父・英毅の芸術作品と一緒に、
英龍が手にかけた作品も見ました。
いやもう、何から何まで才能あるのね〜って感じ。

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邸内を見たら土間に戻って出ます。
出口側にあった「パン焼き窯」です。
兵糧として、パンを最初に製造したのだそうです。

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西蔵。正面から見えるかたちから駒蔵(将棋の駒)とも呼ばれるそう。
蔵の屋根に茅葺が乗っています。湿気対策の建築法なのでしょうね。

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米蔵です。こちらは普通の屋根ですが、内部は湿気対策が施されたつくりに
なっています。他に武器庫の蔵もありました。

出口手前には郷土資料館があります。地図で見て気になっていた近隣の
横穴群など遺跡関連が主に展示されていました。
横穴群も、すぐ近くの韮山城跡も、そのうち訪れるつもりです。

入場料:郷土資料館と共通400円(無料駐車場あり)

撮影日:7月19日

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2010年07月22日

東俣野にある2つの八坂神社(戸塚区)

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東俣野町1637にある八坂神社。
旧道・鎌倉上の道沿いで、鳥居前にはその旨の説明板もあります。

鳥居のそばに石塔・石仏が数基並んでいますが(画像の鳥居手前にある
石碑は道路改修の記念碑)、鳥居をくぐると参道はすぐに終わってしまいます。

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元の参道は道路で分断され、八坂神社は道路を少し下ったところになります。

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建物は本殿と拝殿が分かれていないタイプです。

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かかっている扁額は新しい感じ。

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神社と鳥居に沿った旧・鎌倉上の道を600mほど南下したところで
畑越しに鳥居が見えます。
山の中の白い鳥居は、いかにも鎮守といった雰囲気です。

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この鳥居は東俣野町837あたり、東俣野中央公園のとなりに建つ、
もうひとつの八坂神社です。

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神社の前へは畑越しに鳥居が見えるところから道なりにもう少し進み、
左カーブの先、マンションの横の細い道を左折。すぐにある直売所を過ぎて
公園の隣です。神社の向かいに赤い鳥居のお稲荷さんが建っています。

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こちらの八坂神社は小さなお社です。

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東俣野の八坂神社は龍長院の鎮守だそうですが、なぜ2つあるのか
ぽちは知りません。

どちらにも石塔・石仏がありましたので別カテゴリーで書きます。

撮影日:7月21日

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2010年07月14日

曽我兄弟関連・河津八幡神社(静岡)

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仇討ちで有名な曽我兄弟。
叔父(工藤祐経)と祖父(伊東祐親)の所領争いで、河津の領主だった兄弟の
父・河津三郎は工藤祐経の家来に射殺されます。

ここ、河津八幡神社は河津三郎が住んでいた谷津館があった地だそうです。

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曽我十郎・五郎の像です。
源頼朝が催した富士の裾野での巻狩り(狩猟大会)で、工藤祐経の陣屋へ
討ち入りする夜の姿をあらわしたそうです。

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兄弟の父、河津三郎の像です。
河津三郎は相撲の名手でもあり、相撲四十八手のひとつ、河津掛けを
考案した人だそうです。
日夜、相撲の鍛錬に使ったという手玉石(力石)を持っています。

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これが手玉石(石)です。一般人に持てる石じゃなさそうです〜。

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河津三郎の像の題字は「昭和の名横綱・双葉山」の書です。

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神社の建物は小さめです。

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河津八幡神社は国道135号線から河津ループ橋(国道414号)へ向かう
県道14号に入ってまもなく、道沿いに見えます。駐車場あり。

撮影日:7月12日

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2010年07月10日

源頼朝配流の地・蛭ヶ小島(伊豆の国市)

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永暦元年(1160年)、14歳で父・源義朝のもとで戦った
平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛の継母によって命を助けられ、
伊豆へ流されます。
確証は無いそうですが、当時は狩野川に沿った湿地で蛭ヶ小島と呼ばれた
ここに旗上げまで住んでいました。

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蛭ヶ島公園の入口に立つ源頼朝と北条政子の像「蛭ヶ島の夫婦(ふたり)」。
頼朝さんが持っている杖が奇妙な雰囲気ですたらーっ(汗)
(金の鳶でも止まるのかと思った…あれは杖じゃなくて弓ですが)。

政子が住んでいた北条氏の館は伊豆長岡の近くにあったそうです。
現在の直線距離なら1km強、当時は川が邪魔してたかもしれませんが
ラクに歩ける距離ですね。
結ばれる為に駆け込み(逃げ込み)した伊豆山走湯神社のほうがずっと遠い!

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公園はきれいに整備されています。江戸初期からの住宅を使った
歴史民族資料館(お休みでした)があり、句碑などもいろいろ。
中央にあるのが蛭ヶ島茶屋です。「源頼朝配流の地」と書かれた大きな幕が…。

hiru4.JPG (クリックで拡大)

駐車場側にある「梛(なぎ)の葉の縁結び」由来です。
伊豆山神社の境内にある木ですが、直接には頼朝と政子に関係ないような…。
梛の葉は、葉脈が硬くて横に千切れないので昔から縁結びのお守りと
されていたそうです。
梛の葉って見たこと無かったけど、ここに彫られている形なのですね。

撮影日:6月28日

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2010年07月09日

文覚上人流寓の跡(伊豆の国市)

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伊豆の国市奈古谷にある林道奈古谷線(びしゃもん道)。
ふもとから毘沙門堂を目指す途中、まだそれほどのぼらない所に石碑と
その奥に石塔石仏が並ぶ祠があります。

近づいて見たい!石塔たちですが道路から少し分け入らないと寄れません。
雑草の丈がある上に蚊とクモの巣だらけで断念しました。冬ですね〜。

mongaku1.JPG (クリックで拡大)

石塔・石仏の手前に、「史跡文覚上人流寓の跡」碑が建っています。
伊豆国奈古谷村は承安四年(1174年)に文覚上人が流されてきた所です。

文覚上人が頼朝の命で建てた(再興した)毘沙門堂の近くには、上人が修行した
「不動滝」があったり、その後に一大密教霊場となったこの地らしく、凡字や
仏像が線刻された巨石が残っています(七つ石の他にも)。

撮影日:6月28日

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2010年07月06日

奈古谷観音堂(伊豆の国市)

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静岡県伊豆の国市奈古谷1621にある奈古谷観音堂です。
毘沙門堂への林道(林道奈古谷線・びしゃもん道)の上り口にひっそりと
建っています。角には石塔・石仏がたくさん並んでます。

nagokan10.JPG (クリックで拡大)

ご本尊は聖観音立像。
観音堂は昔あった奈古谷七堂のひとつで、唯一元々の位置に残っているそうです。
ご本尊の他に、今はなくなった阿弥陀堂や十王堂の諸仏もこちらに祀られています。
扉が閉まっていたのでガラス越しにのぞくと、十王像が少しだけ見えました。

入口に立ち並ぶ石塔・石仏はなくなった庚申堂などから遷したものもあるようです。

石塔・石仏の記事は別カテゴリーで書きます。

撮影日:6月28日

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