2011年10月17日

相模国分寺跡−1(海老名市)

0930kokubun9.jpg

海老名駅から500mほど東に残されている相模国分寺跡。
宅地の中に大きく芝生の公園があるような景観ですが、
礎石や土台などが復元されている歴史公園です。

0930kokubun1.jpg

天平十三年(741年)に聖武天皇の詔によって全国に造られた国分寺。
正式名称は金光明四天王護国之寺です。

ここ、相模の国分寺はその中でも珍しいとされる法隆寺式の配置で
建立されていたことが、昭和四十年の発掘調査で判明。

法隆寺式配置というのは、東側に金堂、西側に塔、北側中心部に講堂、
その周囲を中門と回廊で囲んだものです。

0930kokubun2.jpg

西の塔はこういうのが建っていたのですって。
一辺が約21mで高さ65mの七重の塔! スゴイ大きさですよね。
庶民のほとんどが竪穴式住居に住んでた時代によく建てられたと思います。
それも全国になんて…。

創建時、七重の塔には聖武天皇筆「金字金光明最勝王経」が納められました。

0930kokubun3.jpg

発掘された七重の塔の基壇と礎石。

0930kokubun4.jpg

現在は1mの基壇に、発掘された礎石と同じ配置でレプリカ復元
されています。(こちらで発掘された礎石はすべて保存のために
埋め戻されているそうです)。

0930kokubun5.jpg

塔の場所よりも南側で滑走路のようにのびているのが、南面の廊下跡です。
周囲をぐるりと囲んでいた回廊は東西約240m、南北約300mの規模。
礎石(柱)の位置が復元で示されています。

0930kokubun6.jpg

発掘された礎石と、柱跡をしめす写真です。

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 神奈川県情報へ
ポチいただけるとうれしいです

撮影日:2011年9月30日(金)
2へ続きます。

posted by ぽち at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月08日

熊野神社(寺家ふるさと村・横浜市青葉区)

1004kumano1.jpg

青葉区にある寺家ふるさと村。
案内所・四季の家の駐車場角から山を背景に映える白い鳥居が見えます。
鎮守らしい雰囲気が遠くからも感じられます。

1004kumano2.jpg

熊野神社です。
白い明神鳥居に山の緑と彼岸花の赤。
絵になる風景に写真を撮っている人も絵を描いている人も多くいました。

1004kumano3.jpg

やや急な石段が伸びてます。
交差点に近い側にはスロープがあります。

1004kumano4.jpg

石段の途中に狛犬さんがいます。

1004kumano6.jpg

石段をのぼると正面に社殿が。
登り切ると正面からの写真は撮れません。

10年ほど前に不審火で全焼し、建て直された新しい社殿です。

1004kumano5.jpg

熊野本宮大社の宮司による扁額です。

こちらの熊野神社は鎌倉時代に安達氏の一族である大曽根氏が
この地を治めることになった際、領地である師岡(大倉山)の
熊野神社から分社したと伝えられています。
元は寺家の東円寺(廃寺)にあったそうですが、火事により移転。
創建年は不明とのこと。

御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日霊貴命(オオヒルメノミコト・
天照大神)。

1004kumano7.jpg

鳥居があるふもと沿い熊の池方面に歩くと稲荷社があります。
表示等何もありませんが、きれいにお祀りされていました。

撮影日:2011年10月4日(月)

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 神奈川県情報へ
ポチいただけるとうれしいです
posted by ぽち at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

頼朝が平家追討祈願した守山八幡宮(伊豆の国市)

0530moriyama1.JPG

伊豆の国市寺家1204−1に建つ守山八幡宮。
北条氏の氏寺であった願成就院の奥にある鎮守です。

昨年、願成就院を訪れた際に場所を勘違いして行きそびれてました。
国道136号線(下田街道)沿いにあるエスポットという
ホームセンターの向かいにある小道を曲がった先の突き当たり。

0530moriyama3.JPG (クリックで拡大)

「源頼朝挙兵之碑」
鳥居の横に建っていました。

0530moriyama2.JPG

鳥居をくぐって階段をのぼると舞殿がありました。
お賽銭箱がおいてあります。
舞殿では10月の例祭で三番叟が奉納されるそうです。

舞殿から奥を見ると急な階段が…

0530moriyama4.JPG

とても急な石段です。
山をぐぐっとのぼる感じは鎮守らしい趣きがあります。

0530moriyama5.JPG

のぼりきると拝殿があります。
創建は大化三年(647年)で延喜式内石徳高(いわとこたか)
神社という由緒ある神社ですって。
ご祭神は大山祇神、木花開耶姫命、譽田別命(15代応神天皇)。

延喜七年(907年)に宇佐八幡宮から八幡神を勧請合祀。
八幡神は源氏の氏神なので、この地に配流された源家の嫡男に
とっては、縁を感じる崇拝すべき頼もしい神社だったのでしょうね。

0530moriyama6.JPG

正面のあいているところから中をのぞきました。

0530moriyama7.JPG

拝殿の後ろに本殿(社殿)があります。
シンプルな屋根です。

ここの狭い境内には何かが建っていたような跡と石段の
名残りみたいなのがありました。
浅間大社(木花開耶姫命)と三島大神(石徳高)が
祀られていたとのことでその境内社かもしれないとの説アリ。

0530moriyama9b.JPG0530moriyama9a.JPG

注連縄のある方が舞殿の扁額で、ないほうが拝殿の扁額。
鎌倉の鶴岡八幡宮の扁額では「八」が2羽のハトだけど。

0530moriyama8.JPG

のぼってきた急な石段を舞殿めざして下ります。
約150段。

お隣の願成就院もこちらも山の雰囲気がとても良い所でした。

願成就院の過去記事:
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/160679595.html

撮影日:2011年5月30日(月)

にほんブログ村 その他趣味ブログ 多趣味へ ←みなさまのポチが励みになります♪
posted by ぽち at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

腰掛神社(茅ヶ崎市)

kosikake1.JPG

茅ヶ崎市芹沢2169番地(由緒書きに書かれていた所在地)にある
腰掛神社です。
ご祭神は日本武尊。

kosikake2.JPG

相模風土記に『村の鎮守である腰掛明神社は大庭の神が腰を掛けた
旧跡と伝えられ、小石一顆を神体としている』(大まかな訳)と
あるそうです。

また、社伝には景行天皇の朝皇子日本武尊が東征の際にこちらの
石に腰掛け休息したという霊跡を残そうと社殿を建てたとあるそうです。

社前にその腰掛けた石「腰掛玉石」(88x76cm)があるとのこと…
見損ねました!

kosikake5.JPG

拝殿です。

kosikake4.JPG

境内の少し高い所に茅葺の鐘楼と鐘がありました。
茅葺の鐘楼って風情ありますね。

里山公園につながる道沿いに建っていたので立ち寄りました。
下調べもしていませんし、犬も連れていたのであまりちゃんと
見なかったため、腰掛玉石も見逃しちゃいましたどんっ(衝撃)
また公園に遊びに来た際、機会があったら寄ります。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 神奈川情報へ ←みなさまのポチが励みになります♪
posted by ぽち at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

曽我兄弟の墓所・曽我寺(静岡・富士市)

soga1.JPG

静岡県富士市にある曹洞宗、鷹岳山曽我寺。
鎌倉時代の親の仇討ちで有名な曽我兄弟の墓所があります。

soga8.JPG (クリックで拡大)

曽我兄弟の父・河津三郎祐泰の過去記事(河津八幡神社):
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/156358883.html

soga6.JPG

1193年5月、曽我十郎祐成(兄)と五郎時致(弟)は、源頼朝が催した
富士の巻狩の宿(白糸の滝の近く)へ夜討ちをかけて、父の仇である
工藤祐経を討ちます。この時の松明をかかげて夜討ちへ向かう姿の像です。

soga7.JPG

十郎祐成は夜討ちの際に、五郎時致はその後処刑されました。
墓所の正面にある五輪塔は新しいもので、両脇に古い五輪塔が
建っています。

soga3.JPG

本堂には木像とお位牌が安置されているそうです。

soga4.JPG

本堂の扁額です。

soga2.JPG

曽我兄弟の仇討ちの話にみられる「親を思う心」「兄弟愛」「(目的達成の)
一念」が、お地蔵さまとしてあらわされています。

soga5.JPG

山門の横にかかる橋。

曽我寺近辺には曽我兄弟関連の史跡がいくつかあります。
曽我八幡宮、五郎首洗井戸などなど。

soga9.JPG

山門下に立つぽちの犬。
ここからすぐのところで生まれた犬なのです。 里帰り?

先住犬が亡くなり、ひとりっこになってしまったこの犬と
一緒におでかけするのでないと、どこにも遊びに行く気がしません。
だけど、こうして史跡めぐりをすると見たいものが出てくるものですね。
(とはいえ、白糸の滝に行って工藤祐経の墓を見に行かなかったのは
以前では考えられないけど…)。

おでかけ日:2011年1月21日(金)

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ←みなさまのポチが励みになります♪
posted by ぽち at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

鎌倉えびすの本覚寺(鎌倉)

honkouji1.JPG

日蓮宗の本山、本覚寺です。
二代目住職である日朝上人が、総本山身延山久遠寺の住職になった時に
身延山詣りができない人のためにと日蓮聖人のお骨をこちらへ分骨し、
東身延とよばれるようになりました。
目のご利益が知られる日朝上人にちなんで、日朝さまともよばれるお寺です。

身延山の宿坊(日朝上人開基)の記事(HPカブ太郎車庫):
http://tottokocubtaroshako.web.fc2.com/jinsonota1.html

源頼朝が開幕の際、鬼門を守るために建てた夷堂(天台宗系)があった所で、
島流しから戻った日蓮が説法の拠点にしたと言われています。
その後、1436年に日出が日蓮宗と改め本覚寺が創建されました。

honkouji2.JPG

七福神のえびすさまがまつられています。
鎌倉えびす(本えびす)の1月10日には参詣客が7千人にのぼるとか。
この日は三が日の初えびすと本えびすのちょうど間でした。

境内には有名な刀工・正宗のお墓があります。
昔、正宗のご一族は自宅敷地から外に出ることなく、本覚寺に
おまいりできたのだと聞いたことがあります。

ぽちは中学・高校時代、学校帰りに本覚寺の境内で友達とおしゃべりして
すごした思い出があります。立ち寄り禁止で先生がパトロールしてる
学校だったので、お寺の境内は盲点だったんですね〜。
当時の平日午後の境内なんて、がら〜んとしてました。

おでかけ日:2011年1月7日(金)

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 神奈川情報へ ←みなさまのポチが励みになります♪
posted by ぽち at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月30日

寿福寺の仏殿特別拝観(鎌倉)

jufukuji1.JPG

鎌倉五山第三位の寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)。

お寺の詳細はこちらにあります:(HPカブ太郎車庫)
http://tottokocubtaroshako.web.fc2.com/kama33mokuji3.html
http://tottokocubtaroshako.web.fc2.com/kama33junrei4.html

jufukuji2.JPG

門前の石塔がお寺の格式をあらわしています。
位の高い人であってもここで馬を下りて、馬の引き綱を留めます。
結びやすいように段層のくぼみがあるのか、結んでくぼみができたのか…。
今、リードフック犬に使ったら…たらーっ(汗)

jufukuji3.JPG

いつ訪れても気持ちよい参道です。

jufukuji4.JPG

お正月と4月の鎌倉まつりの期間だけ仏殿を拝観することができます。
普段は立入り禁止になっている山門をくぐって、仏殿に向かいます。

jufukuji5.JPG

…先に謝っておきますふらふら
仏殿の中は撮影禁止でした。暗くて数枚写すまで撮影禁止の貼り紙に
気がつきませんでした。すみません!

ご本尊の宝冠釈迦如来です。

jufukuji6.JPG

奥の両側に仁王さまが立っています。
仏殿の高さや幅に対してとても大きく窮屈そう。

サイズがあわないのは、明治の神仏分離以前は鶴岡八幡宮(寺)にあったからです。
神仏分離の際、こちらに引き取られることで破壊を免れました。

jufukuji7.JPG

色も残っていて、迫力のみならず、美しさも感じられる仁王さまでした。

おでかけ日:2011年1月7日(金)

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 神奈川情報へ ←みなさまのポチが励みになります♪
posted by ぽち at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

比企一族滅亡の地・妙本寺(鎌倉)

myohonji1.JPG

比企谷(ひきがやつ)にある日蓮宗の本山(のひとつ)、妙本寺。
総門のとなりに建つ魅力的な建物は幼稚園です。通える園児が羨ましい。

myohonji9.JPG (クリックで拡大)

総門をくぐると道は3つ。直進して二天門の先にある祖師堂へ、
真ん中の階段をのぼって書院や本堂へ、山へ向かう小道の奥にある
蛇苦止堂へ。

myohonji4.JPG

本堂です。

ここ比企谷は比企一族の屋敷があった土地です。
比企能員は鎌倉2代将軍源頼家の乳母の夫で、後に頼家の舅となり、
頼家の息子・一幡の祖父として、北条氏に敵対する権力を持つようになり、
結果、建仁三年(1203年)、北条氏に一族は滅ぼされます。

myohonji8.JPG

本堂の火灯窓。

能員の末子で一族滅亡の難を逃れていた能本が、後に日蓮宗に帰依して
建てた法華堂が妙本寺のもととなったと伝えられています。

myohonji10.JPG

本堂の先にある鐘楼です。

myohonji5.JPG

二天門の先にある祖師堂は鎌倉最大級の木造建築。
二天門は現在修復工事中で見られません。

myohonji11.JPG

祖師堂の回廊は雰囲気があります。

myohonji12.JPG

静かで落ち着いた祖師堂は、ぽちの鎌倉で好きな建物のひとつです。

myohonji6.JPG

祖師堂の木鼻。獅子と象です。可愛い〜。

myohonji7.JPG

境内に建つ日蓮聖人の像。

myohonji2.JPG

こちらは蛇苦止堂です。
一族滅亡の際、能員の娘で源頼家の妻である若狭局が自害した地で、
池に飛び込んだとも井戸に飛び込んだとも。

後に執権7代の北条政村(執権2代の義時の息子)の娘が
大蛇の霊に祟られます。大蛇の霊の正体は若狭局の怨霊で、
その霊を鎮めるために蛇苦止明神としてまつり、蛇苦止堂を
建立したそうです。

myohonji3.JPG

若狭局が飛び込んだとも、蛇の霊が出てきた所とも伝えられている
蛇苦止の井。

中学生の頃、こちらへ初めて訪れた際にとても怖いようないやな
感じを受けました。学校の史跡巡りなどでは仕方がなく訪れましたが
個人的には訪れなかった場所です。
一族滅亡の地…北条氏、三浦氏などどこも訪れたくない空気が
ありますが、こちらは多感な時期だったからそう感じたのかも。

鎌倉らしいひっそりとした雰囲気をもつお寺です。

おでかけ日:2011年1月7日(金)

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 神奈川情報へ ←みなさまのポチが励みになります♪
posted by ぽち at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

人力車に乗って鎌倉散策

0107kamakura.JPG

鎌倉で過ごしていた頃には見かけなかった人力車。
今では鎌倉・北鎌倉をたくさんの人力車が走っています。

1度乗ってみたいかも〜、でも乗ることはあるまいと思っていました。
観光ガイドなら、こちらが買って出たいくらいですもの。

1ヶ月日本に遊びに来ていた姪を年始からあずかっていたので
鎌倉観光へでかけてきました。
小さい子どもと思っていた姪も、デジイチでお寺の写真を撮りたいという
高校生に成長していました。

大仏や八幡宮は子どもの時に連れて行っていました。
時間があまりないのでそこそこ撮り甲斐のあるお寺へ行き、その後
記念になりそうなので段葛から人力車に乗りました〜。

30分コースの中から、お正月限定で拝観できる寿福寺メイン観光を選びました。
寿福寺の本堂は普段入ることができません。そのうちに訪れようと思って
早ウン十年たらーっ(汗) 機会を得ましたるんるん

鎌倉の細い小道を柵のない水路に沿って駆け抜ける人力車。
ある意味、遊園地のアトラクションよりもスリリングでした。
想像していたよりもはるかに乗り心地が良く、幌を少し下ろし
ブランケットを2重にかけてもらって寒くもありません。

観光案内をしつつ、人力車をひく若い車夫さんには、ただただ感歎。
体力を使うのに、ガイドとしてもプロフェッショナルでした。

写真は寿福寺近くの道沿いにある英勝寺の門前です(中には入らず)。
英勝寺は太田道灌の子孫で徳川家康の側室となったお勝(英勝院長誉清春)が
開基で、お勝の子孫である水戸徳川家の姫が代々住持を勤めた尼寺です。
なので門の家紋に、徳川家のみつば葵と太田家の桔梗がかさなっています。

こちら、昔は予約しないと中に入れないお寺だったような気がするのですが、
記憶違い…?

実質30分以上かかっている30分コース。
たっぷり人力車での観光を楽しませていただきました。

寿福寺拝観はまた別に書きます。

おでかけ日:2011年1月7日(金)

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 神奈川情報へ ←みなさまのポチが励みになります♪
posted by ぽち at 18:03| Comment(2) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月23日

成田山断食参篭・5日目(最終日)

leaflet.JPG
大本堂前の案内所にハングル版のリーフレットもおいてありました。

2010年10月15日(木)5日目

<断食の様子>

4泊5日の断食参篭も今日で終わりです。
朝、体重計量したら入寮時より3kg減ってました♪
半分は食べれば戻りますけどね。

上を向いたときの立ちくらみとエネルギーの無さは感じるものの、朝護摩後に
重湯をいただいたら、荷物を持つ力が湧いてきました。
2泊3日ではいただけなくなった重湯、とってもおいしいのです!
焼き味噌と梅干もしみこむお味です〜!

パウダーファンデで隠せる程度のクマは目の下に出来てますが、そこそこ身軽。
3日目がきつかっただけで済みました。

<5日目>

5時前に起床。身支度したら帰り支度もしてしまいました。
今朝も雨が降ってます。出先でこんなに雨に降られるのは珍しい…。
特に神社仏閣へのおでかけは晴天が多いのですが、Cさんから「カミサマ(仏さま)事は
雨のほうがいい(きいていただけるそうです)」と教えていただいたので、雨もまた良しです。

で、雨のために掃除は中止。一旦、寮へ戻ってから6時の護摩へ。
貫主さまでしたが雨で数珠撫でのお加持は行われないので、ゆっくりお手綱まいりしました。

朝食は7時5分と前日言われましたが、今朝の集合時に護摩が終ったらそのまま来るように
とのことでしたので、男子寮横で女性2人と別れて、一緒に4泊5日の参篭へ入った男性と
受付へ向かいました。

土鍋に2人分の重湯(各3杯ありました)、小鉢にそれぞれ焼き味噌と梅干、お茶。
ゆっくり、ゆ〜っくり味わっていただきました。じわっとしみこみつつ、エネルギーが
身体に広がるようです。15分ほどで食べ終わりました。

7時からおしゃべりしつつ、ほとんど終っている帰り支度を確認。
6日目で起き上がるのがつらそうなAさんとお別れして、7時40分にCさんと受付へ。
チェックアウトです。

管理人さんに挨拶して、Cさんが総門までご一緒してくださったのでそこでお別れしました。
みなさま、お世話になりました!ありがとうございました。

参道の坂をのぼり、最短距離の道を選びましたが案の定、荷物が重く感じます。
この帰りを見越して極力荷物を少なくして来ました。それでも断食後の身体には重い!
とはいえ15分程度の道のりです。直通電車も最初から座れたので、ラクに帰宅することが
できました。

最寄の地下鉄駅まで車で迎えに来てもらえたのですが、ぽちを遠目に見たぽちダンナ、
「20代の女の子しか立ってないから、ぽちはまだ着いてない(ぱっと見えらく小顔に
なっててそう見えたらしい♪)」と思ったそうです。ウヒ♪

確かに顔&首まわりとおなかまわりがスッキリしました。5日で3km減は大きいです。
効果も大きいけど、水のみの断食は前もっての減食が本当に大事だと痛感しました。
3日目の体調不良だけで済みましたが、きちんと減食出来ていればもう少し楽だったと
思います。体力低下と脂肪燃焼による微熱は致し方ありませんが、胃の痛みはもっと
少なく出来たはず。

何はともあれ、4泊5日の断食参篭、無事終了致しました。
少々時間に追われる参篭生活になってしまいましたが、楽しくおしゃべりできる
お仲間にも恵まれ、境内の散策三昧、写経に坐禅に勤行・護摩とお寺ライフを
満喫できました。成田山断食参篭修行に興味を持たれた方はゼヒ、十分な減食をして
チャレンジされてみてください。楽しいです&過酷な日もあります(汗)。

成田山新勝寺の境内についてはHP参照してください「とっとこカブ太郎車庫」:http://tottokocubtaroshako.web.fc2.com/jinsonota2.html

成田山新勝寺公式HP:http://www.naritasan.or.jp/

ブログランキング・にほんブログ村へ ←みなさまのポチがはげみになります♪
posted by ぽち at 00:24| Comment(6) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。