2012年06月06日

川奈の海、岩の上に建つ日蓮像(静岡県)

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東伊豆の川奈で「海の岩の上に弘法大師かなんかが建ってる」と
そういうことに疎いぽちダンナが、犬連れ伊豆旅行の帰りに
道路から見えるポイントへ連れて行ってくれました。

「川奈の海で弘法大師?
それ、日蓮聖人じゃないの?」

鎌倉幕府にうとまれ、満潮時に水没する岩の上に残されるという
処刑で伊豆の海に流された日蓮。
漁師に助けられてかくまわれるエピソードがあります。

道路からはこんなに遠いところに建ってます。
場所は川奈の汐吹き岩の裏側あたり。
写真だと崖から地続きにみえますが、海の中にある岩の上です。
(いい角度で撮れるポイントでは車が駐めにくかったので…)。
ぽちダンナは釣りで近くまで行って像を見たそうです。

nitiren2.jpg

ズームするとこんな感じ。
日蓮の龍ノ口法難は近所だったのでよく知ってますが、
こちらのエピソードはいい加減な記憶だけでした。

この岩に残されたのかと調べてみたら、東伊豆の俎岩
(まないたいわ)というところに残されたとか。
その俎岩の場所は特定されていないようでした。
城ヶ崎のあたりとか諸説あるようです。

撮影日:2012年6月4日(月)

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脳みそ筋肉になりつつあるぽち。
史跡を見るのは興味深いけど、細かく調べる気持ちに
ならないというか、頭がまわらなくなってるというか…f(^^;)
 
posted by ぽち at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

鵐の窟(真鶴町)

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神奈川県足柄下郡真鶴町にある鵐の窟(しとどのいわや)。
真鶴港の海沿い道路に面して窟と観音堂があります。

mana2.jpg (クリックで拡大)

治承四年(1180年)八月、源家再興の旗揚げをした源頼朝は
石橋山の戦いで敗れ、湯河原(箱根)山中へ逃げます。
湯河原の土肥椙山の窟(しとどの窟)で隠れ潜み、機をみて
真鶴岬から海路に逃れることになるのですが、船に乗る前に
潜んだとされている場所です。

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どちらの窟も「しとどの窟」として史跡になっています。
鵐はホオジロ科の鳥のことで、頼朝一行が逃げてきた際に
窟から飛び立ったことからその名が付いたと言われています。

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こちらが「鵐の窟」です。
施錠されていて中には入れません。

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窟の奥には石像が鎮座していました。

しとどの窟で潜んだ人数は頼朝と従者7人(6人)。
甲冑をつけた大の男7〜8人が入るのは厳しそう…。

ちなみにこちらにたっている幟に主従七騎の名前が出ています。
源頼朝、岡崎四郎義実、土肥次郎実平、土肥遠平(実平の子)、
安達藤九郎盛長、土屋三郎宗遠、新開荒次郎実重です。

が、一般的には主従七騎では土肥遠平ではなく、蛭ヶ小島の頃から
頼朝の側にいた田代信綱が入り、謡曲「七騎落」では頼朝と
従者七騎として土肥遠平が加わるのですが。

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赤い欄干の橋の正面に建つ観音堂です。

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ご本尊は「頼朝観音」。
しとどの窟において、頼朝が髻(もとどり)から観音像を
取り出して窟に置いた(後日、その観音像は頼朝の手に戻る)と
伝えられていることから祀られているのだと思います。

ぽち的には観音像をおいた話は湯河原のほうだと思うけど…

mana8.jpg

「品川台場礎石乃碑」も建っていました。
江戸末期、お台場建設に使われた真鶴産の小松石です。
埋め立て工事で失われるのを惜しみ、礎石の一部をここに
移して碑としたと、昭和四十年銘で記されていました。

駐車場:無し
撮影日:2012年2月6日(月)

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真鶴半島には史跡も石仏もいろいろあります。
犬連れ旅行の帰り(それも時間があまりなく)だったので
他にまるで寄れなかったのが残念です。

 
posted by ぽち at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

河津三郎祐泰の血塚(静岡県伊東市赤沢)

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静岡県伊東市赤沢にある「河津三郎祐泰の血塚」。
別荘地の舗装路が終わり、それなりに整備された旧道の入口から
山の中を歩くこと約300m。

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血塚は鬱蒼とした木立の中にあらわれます。

河津三郎祐泰は仇討ちで有名な曽我兄弟の父です。
仇討ち物語の発端となったのがここ。

112836f.jpg (クリックで拡大)

安元二年(1176年)、伊豆に配流されていた源頼朝を
慰めるために奥野で大巻狩が催された帰途、伊東祐親・
河津三郎祐泰(祐親の長男)親子は領地争いで、祐親に
恨みを抱く血族の工藤祐経の命令を受けたものにより、
「椎の木三本」と呼ばれる椎の大木から弓矢で狙われ、
祐親は助かりますが河津三郎は血塚がある場所で絶命しました。

*奥野の大巻狩では相撲大会も催され、30人抜きをした
俣野五郎景久を河津三郎祐泰が負かしています。

河津三郎祐泰の相撲・河津八幡神社の過去記事:
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/156358883.html

俣野五郎景久・俣野観音(ぽちのご近所〜)の過去記事:
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/127502326.html

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血塚は積石塚とその上の宝筐印塔で供養され伝えられてきました。

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宝筐印塔は南北朝期のものだそうです。

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裏側からも見られます。

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入口から続く旧道は昭和八年に国道135号線ができるまで、
鎌倉古道であり江戸時代から続く下田街道でした。
老中松平定信、吉田松陰、血塚の史跡を訪ねてきた
俳人たちも通った道で、歴史に思いをはせて道を見て〜と
説明板に書かれていました。

実際、歴史の雰囲気に浸れます。
(ちょっと怖かったけど)。

曽我兄弟の墓・曽我寺の過去記事:
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/184255874.html

駐車場:無し
撮影日:2011年11月28日(月)

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1度訪れてみたいと思っていた場所でしたが、秋に泊まった
犬連れペンションの近くでびっくり〜。帰るときに、史跡に
興味のないぽちダンナと犬を車で待たせて見てきました。

しか〜し。イザ積石塚と宝筐印塔にカメラを向けた途端、
カメラが動かなくなってしまい… 背筋がゾォーっとどんっ(衝撃)

お墓じゃないから、何かあるとしたら山の魔とかの類いに
からかわれたのでしょうけど、一応、塚に向かってご挨拶したら、
カメラ動きました。
単なるデジカメの不調…と思いたい(後にも先にもないけど)。
 
posted by ぽち at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ史跡・神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月26日

北条政子が建てた指月殿(静岡県伊豆市修善寺)

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修善寺温泉にある指月殿。
源頼家の墓の隣にあります。

頼家の供養のために母である北条政子が建てた経堂で、
伊豆最古の木造建築物。

鎌倉から送った宋版大蔵経5〜6千巻が納められていたと
伝えられますが、散失して8巻が現存するのみだそうです。
修善寺宝物館保存の「放光般若波羅密経・巻第二十三」には
巻末に北条政子の墨筆があるとのこと。…見たい。

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ご本尊は釈迦如来座像。
鎌倉時代の作で禅宗式と呼ばれる、蓮の花を持った
珍しい姿をしています。 高さ203cmで伊豆最大。

1128sigetu3b.jpg 1128sigetu3a.jpg

仁王像はご本尊よりも古い平安・藤原時代の作で、
修善寺の惣門を守護していたもの。

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指月殿扁額。
宋の名僧一寧一山の書ですが、これはレプリカで
本物は修善寺本堂に保存されています。

観光客が多かったにもかかわらず、静かな佇まいを
感じ、しばし時のロマンに浸れる雰囲気を持った
建物でした。

駐車場:修善寺温泉街に有料駐車場少し有り
撮影日:2011年11月28日(月)

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2011年12月24日

源頼家の墓・十三士の墓(静岡県伊豆市修善寺)

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伊豆市修善寺の温泉街。
修善寺(お寺)門前から、県道と修善寺川を超えた側に
源頼家の墓があります。

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父である源頼朝の死後、後を継いで二代将軍になり
6年ほどで強制出家、伊豆の修善寺に幽閉させられた頼家。
幽閉から1年経たず、元久元年(1204年)に23歳で死去。
入浴中に刺殺されたと伝えられています。

手前の石碑は死後500年に修善寺の住職が建てたもので、
頼家の墓はその後ろにちらっと写っている小さな五輪塔です。
2基あります。

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源頼家の墓に隣接するところに建っている十三士の墓。
頼家暗殺後、再起をはかるも謀反決行前に発覚して
殺された頼家の家臣13名の墓です。

1128jusan2.jpg

訪れた11月末、伊豆はまだほとんど紅葉してなかったのですが
修善寺では紅葉が見られました。

源頼家の妻子については過去記事参照(比企一族滅亡):
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/182320075.html

駐車場:修善寺温泉街に有料駐車場少し有り
撮影日:2011年11月28日(月)

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2011年12月08日

伊豆御浜岬・諸口神社(静岡県沼津市)

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静岡県沼津市戸田にある西伊豆の岬、御浜岬。
戸田港をまわりこんで来るときから、御浜岬に鮮やかな
赤い鳥居が見えます。

諸口神社の海側の鳥居です。海側が表参道ですって。

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御浜岬に建つ諸口神社。
延喜式内社なので10世紀初頭には存在していましたが
創建年不詳です。延喜式神名帳には國玉命神社とあり、
「もろき姫の明神」とも他に書かれているそうです。

ご祭神は弟橘姫命。「もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でも
あろうか現称諸口はもろきと同語にて古来当社を辨天と称し
女神なること明らかなり」と由緒にありました。

航海・漁業に従事する者の守護神で、海上安全大漁満足祈願。
毎年4月4日に例大祭が行われます。

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陸側の裏鳥居です。
お隣には造船郷土資料博物館がありました。
戸田で日本初の洋式帆船が造られたそうです。
休館日で入れず。

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博物館裏にあった江戸時代の錨。
千石船に使用された四爪錨だそうです。
球は2つあって、1つは錆でぱっかりと割れてました。

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戸田灯台。とても小さな灯台です。

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御浜岬から駿河湾越しに富士山を望む。

静岡県沼津市戸田2710
拝観料:なし
駐車場:あり

撮影日:2011年11月27日(日)

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2011年12月04日

天狗の彫刻がある伊豆大瀬崎・引手力命神社2(静岡県沼津市)

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引手力命神社本殿へ向かいます。
新しい石段と、その横に古い石段があります。

神社は大瀬崎突端で1番高い所に建っています。

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拝殿です。

赤いのが横に見えてますね。
海上祈願を願って赤い褌を奉納する風習があるそうです。
褌とはわからなかったけど…

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小ぶりな建物ですが彫刻が目をひきます。
天狗さんが彫られています。珍しいでしょ?
鳳凰(?)と大天狗2人と高下駄を履いて太刀をさした童子の
ようなのが彫られているのですが、どういうモチーフなのか
気になります。

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大天狗のアップ。
天狗と引手力命との関係も知りたいです。
何もわかりません。

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虹梁には龍が彫られています。
どれも迫力がある彫刻です。

受付にいらした方が「昭和(戦前・戦中?)の彫刻は素晴らしい」と
おっしゃってました。 本当に素晴らしいと思います。

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拝殿横からのながめです。
くもりなのが残念。ぽちは西伊豆、特にこの大瀬崎辺りから見る
富士山がベスト富士山だと思ってます。
西側の雄大ななだらかさが好き。

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神社の石段を下りたら、突端側の散策コースへ。
伊豆七不思議に数えられる神池という池のまわりを1周、
ほかに大瀬崎灯台へも行けます。

神池は海まで最短15m、海抜も1〜2mというところに
ありながら、淡水ということで七不思議のひとつとされています。
淡水の謎は解かれていないのだとか。

青龍が池の底に眠っているとかなんとか言われ、パワースポットと
しても有名なようです。

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池のまわりには「鈴木繁伴館跡」というのがありました。
石積みが残っています。
室町時代(14世紀後半)に、熊野水軍の鈴木繁伴という武将が
郎党30人と、この地にやってきて館を築いた跡だそうです。

鈴木繁伴さん(馴れ馴れしいな)、室町時代の天下の兄弟げんか、
足利尊氏と足利直義の争いで負ける側についたので、伊豆山中に
隠れていた期間もありますが、関東管領・足利氏満によって
船大将に任ぜられ、廃れていた大瀬神社に財を投じて修理。
その後、北条早雲に従ってこの地を去ったのだそうです。
結構面白いプロフィールを持ってる人なんですね。

大瀬崎灯台へは行かず、神池1周だけしました。
犬連れだったので、歩く距離は犬の調子次第。
気も取られるので、説明板をゆっくり読んだりできません。
天狗のこととかどこかに説明があったのかも。

静岡県沼津市西浦江梨
拝観料:100円
駐車場:有料少し有り、1時間300円

撮影日:2011年11月27日(日)

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2011年12月03日

天狗の彫刻がある伊豆大瀬崎・引手力命神社1(静岡県沼津市)

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静岡県沼津市西浦江梨にある西伊豆の岬、大瀬崎(おせざき)。
ダイバーがたくさん集うところで、神社までの道沿いには
ダイバー関連のショップが並んでました。

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神社境内にあたる公園に鳥居の手前にもビャクシン樹林が
広がっています。ビャクシンなんて、大きなお寺や神社でしか
見る機会の無い巨木ですよ。それが樹林になってるなんてー、
迫力ばっちりです。

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入り江沿いからずっと見えていた鳥居。

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鳥居をくぐると天狗のうちわがたってました。

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絵馬殿です。

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大瀬神社(引手力命神社)は927年の延喜式神名帳に記された
由緒ある神社と言われています(はっきりとはわからないらしい)。

平安時代末期、源家再興を願って源頼朝や為朝らが太刀などを
奉納し、源家再興が叶ってからは多くの武将から奉納される
神社となりました。

引手力命は海の守護神で、駿河湾漁民は船の新造時に縮尺模型を
奉納しました。
ここには船の模型や漁民が描いた絵や大漁旗など、興味深いものが
たくさん展示されています。

1127ose7.jpg

古い扁額。

2に続きます。

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2011年11月19日

瀧神社・瀧不動尊(宮ヶ瀬)

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神奈川県愛甲郡愛川町半原にある瀧神社。
宮ヶ瀬の県立あいかわ公園の駐車場近く(中津川に向かう坂下)に
あります。

宮ヶ瀬ダムの下側、石小屋ダムから川沿いに住宅地へ進み、
ほどなく「左折すると瀧神社・瀧坂」の表示があるので左折。

「瀧坂」という石柱を過ぎると瀧神社入口の石碑と庚申塔が。
このあたりは坂の名前を彫った石柱をよくみかけます。

1114taki2.jpg

入口を示す石碑から鬱蒼とした木々の間の細い道を進むと
入口からは見えなかった瀧神社の社が見えました。

1114taki4.jpg

名前の元になっていると思われる滝が社の横で流れてました。
実際の滝は小さいとは言え、神格化されるに足る雰囲気を
もっていました。

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社と滝の間に石碑・石仏が建っています。
残念ながら、あまりにクモの巣がすごくて、望遠で撮りました。

手前が「主水神」。

1114taki6.jpg

その後ろに「瀧不動尊」。

1114taki7.jpg

「瀧不動尊」のおとなりに不動明王の刻像塔。

1114taki3.jpg

由来などを検索してみましたが神社の来歴・詳細はわかりません。
あるサイトで社にくくりつけてある布袋について書かれてたのだけ
見つけました。

布袋はどれも底が抜けているそうです。
安産祈願をして布袋を持って帰り、無事終わったら新しい布袋を
こちらにくくるそうです。底抜けのようにするっと安産祈願。

近づかなかったので布袋とは気づきませんでした。
それにしてもお不動さまで、瀧(水神)で安産祈願って
どうして結びついたのか興味深いです。

撮影日:2011年11月14日(月)

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2011年10月18日

相模国分寺跡−2(海老名市)

0930kokubun7.jpg

七重の塔の東に配置されていた金堂跡です。
基壇と礎石の位置が復元されています。

「相模国分寺遺蹟」の碑はこの金堂跡に建っていました。

0930kokubun8.jpg

創建時、七重の塔にはお経、金堂には仏像が納められました。
こちらの金堂のご本尊は釈迦如来像とどこかで見かけましたが
どこの国分寺でもご本尊・薬師如来と日光・月光、四天王、
十二神将などが安置されているのだと思っていました。

0930kokubun12.jpg

金堂跡から北側の道路向こうをのぞみます。
講堂や僧坊がありました。

0930kokubun10.jpg

講堂跡の碑。

0930kokubun11.jpg

東西約80mと横に長い僧坊跡です。
僧坊は8室あったそうです。
柱位置が復元されています。

相模国分寺は創建から1世紀の間に2度焼失、その後
再建されていることがわかっているそうです。


規模の大きさにびっくりの相模国分寺跡でした。
今、残してある規模にも。

近くに国分尼寺跡、現在の国分寺、資料館などがあったと
後から知りました。そのうちまた、星谷寺の観音さまに
おまいりするときに寄ってみたいと思います。

相模国分寺跡:海老名市国分南1
入場料:無
駐車場:無

撮影日:2011年9月30日(金)

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