2015年05月10日

旧東海道歩き箱根越え9(権現坂〜湖畔の身替わり地蔵)

1gongenzaka.jpg

八丁平から広め緩やかな下り道を進んでくると舗装路と交差します。交差する道は東海道が整備される以前の箱根越えの官道だった湯坂道です。湯坂道を示す石標が右側に建っています。その隣にはお玉観音堂があります。もう1度、舗装路に分断され、渡った先に権現坂の石標があります。急な下りになり石畳の石がゴロゴロして歩きにくくなりますが、正面の木々の向こうに芦ノ湖が見えてきます。権現坂が東坂13坂の最後の坂です。

2hodoukyou.jpg

坂を下りきってそのまま国道1号線を跨ぐ歩道橋を渡ります(写真は振り返った向き)。旧道の両側は江戸期からの杉並木です。

3kenshouhi.jpg

ケンペルとバーニーの碑。江戸時代、医師として来日したドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルは将軍・綱吉に会うため、元禄四年(1691年)とその翌年に長崎−江戸間で箱根を越え、帰国後『江戸参府旅行日記』『日本誌』を著し、その中で箱根の歴史、美しい自然を世界に紹介しました。
C.M.バーニーは英国の貿易商で箱根に別荘を持ち、大正十一年(1922年)に自然を大切にするようにと「日本誌」の序文を引用した碑を建てた人です。

3hi.jpg

こちらがバーニーが建てた碑。元は芦ノ湖畔にあった別荘の敷地内にあったそうです。

4b.jpg 4a.jpg

*寄り道*
**ケンペルとバーニーの碑があるところで未舗装の旧道が終了します。旧街道歩きとしては国道1号線を下るのが正しいルートなのですが(たぶん)、ここから国道1号線ではなく、お寺の裏手の道を下ると興福院(途中通ってきたお玉観音堂はこちらの別院)に出ます。門前に並んで箱根八里記念碑が建っています**

4torii.jpg

碑のところから国道1号線を下ると箱根神社一の鳥居が建つ、元箱根港の交差点へ出ます。左側の成川美術館がある方向に進むのですが、鳥居をくぐって道路向かい湖畔側にある賽の河原へ立ち寄ります。

6sainokawara.jpg

賽の河原。地蔵信仰の霊地として多数の石仏が湖畔に並んでいたそうで、江戸期には130基あったものが明治の廃仏毀釈や湖畔開発などで現在は54基になりました。

7a.jpg 7b.jpg

賽の河原の湖畔側に並んでいる石仏。道路側に大きなものが並んでいます。

5ashinoko.jpg

目の前は芦ノ湖。向こうに赤い箱根神社平和の鳥居が小さく見えます。

8migawari.jpg

賽の河原から道路を横断して国道1号線の左側に戻って進みだしてすぐ、成川美術館の入口を過ぎたところに身替わり地蔵があります。

9jizou.jpg

宇治川の先陣争いで名高い梶原景季が箱根を通りかかったとき、父・景時と間違えられて襲われましたが、近くにあった地蔵が身代わりになって助かったそうです。それ以来、景季の身替わり地蔵と呼ばれていて、背中には刀傷があると伝えられています。(背中見えない!!)

撮影日:2015年4月19日(日)


ポチいただけるとうれしいです
posted by ぽち at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 旧道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。