2015年05月07日

旧東海道歩き箱根越え6(畑宿一里塚〜西海子坂)

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畑宿は江戸時代、間(あい)の宿として茶屋や本陣がありました。箱根細工の里としての起源は木地挽きで、小田原北条氏の時代にさかのぼるそうです。江戸中期以降は寄木細工や象嵌細工が中心になりました。

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本陣跡バス停前の建物など、趣きある建物も見られる街並みですが、歩いている人が多かったので写真は無し。説明板や木製の碑の前にも車がぎっちり止めてあり、こうした写真を撮るのも精一杯の状態でした。

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本陣は茗荷屋という屋号の旧名主の屋敷でしたが、大正時代に火災で焼失。美しい日本庭園は残っているそうですが立ち寄らず。

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無料の休憩所があります。寄木細工のお店や実演が見られる会館もあります。箱根駅伝往路の優勝トロフィーとメダルは寄木細工で作られていて、その写真なども掲示されていました。

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畑宿の駒形神社。

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まっすぐ進むと一里塚、右の階段をのぼると守源寺。

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守源寺は寛文元年(1661年)に創建された日蓮宗のお寺。箱根七福神の大黒天ののぼりがいっぱい。

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江戸側から進むと町外れに位置する畑宿一里塚です。江戸から23番目(23里)。現在では数少ない当時の姿を見ることができる塚です。明治時代に削り取られたりしていたものを、発掘・文献調査によって復元。

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直径約5間(9m)の円形に石積みを築き、小石を積み上げ、表層に土を盛って頂上に標識樹として(江戸側から見て)左にケヤキ、右にモミが植えられています。

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一里塚の双塚の間を通って進むとあらわれる石畳の急坂。

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写真に撮り損ねましたが、箱根新道を跨ぐ歩道橋も石畳になってました。

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西海子坂(さいかちざか)。東坂では6番目に現れる坂です。

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畑宿一里塚過ぎの石畳に比べると歩きやすい石畳。
西海子坂については坂の全長がどの部分なのか疑問を持ったまま解決できていません。石標に「登り二町許」と刻まれているので220mほどの距離の坂とわかりますが、石標から現在の県道・七曲りに分断された次の橿木坂へ向かう部分で現存している部分が少なくなった道なのか、それとも畑宿一里塚を過ぎた急な石畳部分から始まる坂なのか。箱根新道を渡った先には石畳を流れる雨水対策として斜めに設けられた排水路なども見られる所があります(説明板あり)が、ここも西海子坂に含まれるのでしょうか。

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県道732号線の七曲りを歩くとヘアピンカーブのショートカットになる階段があります。(こういったあたりも本来、まっすぐ上っていた坂道だったのか気になるところです)。

撮影日:2015年4月19日(日)


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posted by ぽち at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 旧道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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