夏のお盆休み、友人達とオートバイでのツーリング中。キャンプ場でテントを張り、チェーン店ではなさそうなファミレスで夕食をとり、缶ビールを手にブラブラと散歩をしていた。
ガラスの水槽を抱えてぞろぞろと山に向かう人たちを見かけ、何があるのかとついて行った。お祭りに行くかのような子供たちも多い。山の狭い上り坂は人でいっぱい。
道からググッと曲がる入口。そこは墓地だった。たくさんの人、煌煌と灯された灯りが不似合いな昔ながらの墓地。レジャーシートを通路に敷いている子連れ家族もあり花見を思わせる違和感。
何より違和感の中心は水槽だ。暮石の前に置かれていたり、抱えられたままだったり。ガラス水槽の中身をさりげなく見て行く。
火が灯る蠟燭。1本から数本。タバコ、ビール、ジュース、お菓子、マスコット人形、アクセサリー、故人と思しき写真、45回転レコード、本、ミニカー、花などなど。
蠟燭を除けば一見カブトムシでもいそうな水槽だが、故人を偲ぶ物で溢れていた。ミニカーなどの小さな子供を連想させる水槽は切ない。
墓地をぐるりと回って、入って来たところから出る。蠟燭の火がついたままの水槽を抱えて出て行く人もいる。
ああ、これが迎え火なのか。門口でおがらを焚く迎え火しか知らなかったが、本来お墓参りをしてから迎え火をするとも聞いたことがある。
この地ではお墓で故人の好きだったものなどを目印として迎え火し、水槽に呼び寄せてそのまま家へお連れするのだろう。
歩いて墓地と往来できる環境。ひっそりと故人を偲びつつ、または家族で明るくわいわいとお迎え。わたしが知っている形骸化したお盆行事とは違う、本来のお迎えがそこにあった。
30年程前の旅の思い出。
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