2009年11月13日

見てきました!和泉川を溯上した鮭(横浜泉区)

isaka.JPG

和泉川を鮭が溯上したというニュースから日がたち、もういないかも
しれないと思いつつも、目撃された橋まで行ってみました。

普段、ひと気のないところに人がたくさん。(土日は数百人にのぼったとか)。
数台の望遠レンズの向く方向に目をやると…。

いた〜目
鮭?ほんとに鮭? 

確かにこの辺りでは見かけない魚です。
色も形もヒレも違う。

でもこれ、鮭って聞いてなかったら、たとえこの魚に気づいても
「サツキマス?」とか思っちゃいそうです。

野生の鮭を見る機会がおとずれるなんて考えてもいなかったですよ。
それも地元の川でなんて。

isaka2.JPG

このニュースを知らず、メールで聞いた時にはどこかよそのイズミ川と
間違えてるんじゃない?なんて言ってしまいました。
だって、海から溯上するにはまず、藤沢市の境川をのぼることになるんですよ。
それまでみつからずに和泉川で?!と思ったら本当に境川をこえて和泉川まで
来てから見つかったのでした。

和泉川は泉区の中を通る川で、泉区南端から戸塚区になった辺りで
横浜市と藤沢市の境を流れている境川に合流する、境川の支流です。
鮭はこの合流地点から約1kmさかのぼった和泉川の橋のたもとで目撃されました。

温暖化で潮流が変わってきた影響か、近年は川を間違える鮭が増えているそうです。
7年前にも目撃されたと言う話が載ってましたが、和泉川で稚魚を放流したことは
ないそうで、迷い鮭がたまに現れるところなのかもしれませんね。

合流地点からそのまま境川でさかのぼったあたり(同距離程度)の長後の
小学校で昨年、稚魚が放流されたそうです。
通常川に戻るには4年かかるので、その鮭かどうかは不明とのことですが
その鮭だったら「惜しい!あと1歩だったのに〜」って具合に迷い度は低いexclamation&question

最初に目撃された鮭は雌2匹雄2匹の4匹だったそうです。
ぽちがみたのは橋をはさんで1匹ずつ。雄はご臨終っぽいと他の方の弁。
写真は浅い側にいた雌です。

もう1組は産卵のためにもっと溯って行ったのでしょうね。
無事に産卵できたらいいなー。

余談:鮭の溯上で思い出した…
ぽちの大好きな大泉洋さんが出てた、ミスター(鈴井貴之さん)の映画で
札幌の普通の小学校横を流れる川が、毎年産卵に溯る大量の鮭でピンクに
染まるというのを見ました。
これがまた郊外のフツーの川で、ある種カルチャーショック。

鮭なんてヒグマが出てくる悠久の大自然を流れる川の話だと思って育った
人間と、毎年の風物詩として登下校中に見て育つ人とでは世界観がまるで
違うんじゃないかと思ったっけ。
(北海道出身の知り合いみんなの故郷への回帰心が強い意味を理解したような気が)。

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中之宮左馬神社(横浜泉区)

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和泉川沿い、横浜修悠館高校(旧・和泉高校跡地)の近く、和泉町3253にある
中之宮左馬神社です。

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山と住宅の間の細い道を進むと急な階段に鳥居があらわれます。

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上って上って…

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大きな木に囲まれてますが、ぱあっと視界が開けます。
右奥の木は横浜市指定名木・古木のシラカシです。

境内は広く(和泉の神社では1番広いそう)、社殿のほかに建物が2棟、
北側の入口などもあります。石碑・石仏、小さなお社に赤い鳥居のお社も。

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境内に説明板などはありません。
下和泉の鯖神社、神田(上和泉)の佐婆神社とともに、こちら中和泉の
中之宮左馬神社の祭神も源義朝ではなく、源満仲です。

文化13年(1816年)と天保6年(1835年)の棟礼が残されているそうです。
(棟札というのは建物の新築や改築・修築の記録で、守護札とされているものです)。
勧請は源家隆盛の頃と伝えられているそうですが、記録に残るのは寛永二年
(1625年)以降、和泉村の領主・松平氏の崇敬を受けてからのようです。   

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2009年11月12日

新聞の囲碁棋譜

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最近、新聞に掲載されている棋譜を並べるようになりました。
名人戦第4局からです。(今は第5局)。

将棋棋士の羽生さんが「新聞の棋譜を毎日、翌日掲載される次の一手を
考えながら並べると確実に強くなります」と言っていたとぽちダンナから
聞いたのがきっかけ。将棋の話ですけど、たぶん囲碁でも同じ。

以前は、一般新聞の棋譜ってコマギレなので並べる気が起きなかったんですよ。
コマギレだから上達するんですね…?

と、望みをかけてますが、次の一手が皆目わからないぽちでしたふらふら

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2009年11月11日

結局好きな乙巳の変に執着してしまう

学校では大化の改新でまとめられている乙巳の変。
母などは大化の改新と聞くと「大極殿に入鹿を誅す〜!」と、子供の頃に
遊んだらしい歴史かるたの文句を必ず言ってますたらーっ(汗)

この「誅す」が、ぽちにとって興味尽きないところでして、誰が誅殺したのか、
黒幕の諸説やそこに存在するはずの心理にそそられます。

学校でもやるのでスタンダードな説明はいらないかと思いますが一応。
夫である前帝のあとをついで皇位についた皇極天皇の時代、専横を極めた
蘇我入鹿を大極殿での儀式中に、皇極天皇の息子である中大兄皇子(後の
天智天皇)と中臣鎌足が中心になって斬り殺します。
斬り付けられた入鹿は天皇に「どんな罪があるというのか、助けて下さい」みたいな
ことを言い、皇極天皇は「なぜこんなことをする?!」と問い、中大兄皇子は
「天皇家を蔑ろにして簒奪しようとしている」と返したと伝えられています。
(ちなみに当時の皇居・飛鳥板蓋宮に大極殿はなかった説あり)。

天皇中心の正しい政治のあり方にするために中大兄皇子や中臣鎌足が
蘇我氏を滅する行動を起こしたという解釈がスタンダードで、そこには
黒幕といった存在はでてきません。

梅原猛氏は「隠された十字架」の中で、乙巳の変も(他にも暗躍してる)
中臣鎌足が大黒幕・指揮者であるといった説を唱えています。
中大兄皇子をうまく使ったという感じ。

皇極天皇と入鹿が愛人関係であったというスタンスを取り、当時19歳の
青年である中大兄皇子には蘇我氏の専横だけでなく、許しがたいものが
あったのだろうと。「息子と大臣のどちらをとるのか」とも受け取れる言葉が
伝えられているので、愛人説で見るとそのままの言葉ですね。

首をはねられた入鹿ですが、その首が天皇の御廉に飛んでいったと伝えられています。
殺した相手にでなく、天皇に向かってというところがその執着を示しているとか。

ふうんるんるん 魅力的な解釈わーい(嬉しい顔) 自分を見捨てたという執着心(哀しい男心?)とか
母の愛人を憎悪するとか、愛人説はありますがこの視点はとっても魅力的です。

梅原氏が著作の中で書かれているほど、すべてにおいて鎌足が糸を引いていたか
どうかは疑問ですが(梅原氏は鎌足の能力を絶賛しているように感じます)、
スタンダードな解釈でも、中大兄皇子はある程度は鎌足に唆かされたんだろうなと
思いますよね。

大化の改新で中央集権をやってのけた中大兄皇子が、その思い込み強く
突っ走ったという単純な説とか。

愛人説では、入鹿の血をひく子供ができたら中大兄・大海人(天智・天武)の
先帝の血を引く兄弟が抹殺されるに違いないという思いが募ったからという
見方もあります。

天智天皇を嫌っていた弟、天武天皇が日本書紀編纂を命じたわけで、日本書紀に
大化の改新があまり重要な扱いを受けていないことから、中大兄皇子がすべてに
中心になっていた説もあります。
(日本書紀では天智天皇はかなり悪い印象を与える書き方をされています)。

どの説にもひかれますが、ぽちは皇極天皇黒幕説派です。
中大兄皇子がなかなか皇位に就けなかったのも、息子の気質を見抜いている
母親ならではの意向だったと思ってます。
土木工事好きの日本初の重祚(2度皇位に就く)をやってのけた女帝は侮れないです?!

もっと斬新な解釈には、天智天皇の父・舒明天皇(田村皇子)も母・皇極天皇も
その時代に天皇として存在してはおらず(蘇我氏の思うままの人形天皇という
意味でなく本当に)、実権だけでなく蘇我氏が天皇になっていたという説まで
あります(後から汚点ともなる歴史を隠し、正史に書き直したという説)。

ちょっと話はずれますが、「勝てば官軍」で「歴史は勝者によって作られる」を
日本書紀では強く感じてるぽち。 聖徳太子は後の人間にとっていいように
作り上げられた(架空の)存在という説にやや傾いております。
梅原氏は「架空」の存在とは扱ってないですが読後にそう思うようになりました。

聖徳太子と法隆寺のナゾに迫る「隠された十字架」を読んで、結局のところ
もともとの好きなところに執着してしまったぽちでした。

参照過去記事:法隆寺は祟り寺?(梅原猛著「隠された十字架」)
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/132569673.html

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法隆寺は祟り寺?(梅原猛著「隠された十字架」)

法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられた寺だという話に興味を持って、
梅原猛氏の「隠された十字架」を読みました。
(過去記事参照:http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/131073676.html

1972年の作品で、まず内容よりも、「常識」にこだわる輩に戦いを挑む姿勢と
熱い語り口に圧倒されました。

学術的には今でも認められていない説かもしれませんが、ぽちの中ではいつの間にか
身についた見方と重なる部分が多く、それは氏(や、その支持者)が戦ってきた
結果なのかもしれないと思ったり。一般人に愛されてきた説とも言えるかも。

特に、日本人の「祟りそうな相手は神として敬う」感性と歴史については
ここまでくどく語らなくても…なんて思っちゃうんですけど、その熱い姿勢が
あったから、浸透してるのかもしれませんね。

しかしですよ。法隆寺が祟り寺とは思ったことがなかったので(ちょっと知ってた
エピソードはガセだと思ってた)、いろいろな角度から検証されてるのは
読み応えばっちりでした。

ただ、個人的に残念なこともあります。
前時代の強者(権力者)を政治的敗者に追いやった場合、新たな権力者は
敗者の祟りを畏れる。そこで神として祀り、怒りを鎮めてもらう。
出雲大社も天神さまもそうなのだけど、法隆寺の場合、なぜ聖徳太子なのかという
ぽちの疑問は解けないままでした。

太子一族を滅ぼしたのは蘇我入鹿と言われています。この件に関して梅原氏は
影で画策していたのが藤原氏の祖である中臣鎌足だとしているのはいいのです。
藤原氏(や、太子とは違う血筋の天皇)が太子一族の祟りを畏れるとしても
不思議ではないのですが、滅ぼされた当人(太子の息子)ではなく何も知らずに
あの世へ先立っている聖徳太子が怨霊になるのかなーと(怨霊視されるのかと)。

聖徳太子の威光とその記憶がすごくて、子孫を滅ぼされて黙っちゃいないだろうと
思ったのか…。予知能力があったとも超人的能力があったとも言われる太子の
力というのが本物で、知っていた人にとって脅威だったのでしょうか。

藤原氏を正義とするために入鹿をおとしめ、それ故太子一族を善として
そのまた祖である聖徳太子を持ち上げるという画策といった理由だけなら
納得できました。
でもそれだけの理由だったら、梅原氏も呪い封じといったものとあわせた展開で
書かないと思うんですよね。

このへんのナゾが解けることを期待してたので残念です。
ぽちの読解力がないだけかもしれないけどたらーっ(汗)

聖徳太子の呪い封じではないかとされる救世観音の頭部に光背が釘付けされている件も
中門の通せんぼするような柱の件も、今では当時の中国ではよくあることだったと
言われているらしいので、ぽち的には興味薄になってしまった部分もありました。

でも「法隆寺が祟り寺である」ことを立証する為にその他の寺の変遷や天皇家・
権力者との関わりを論じている部分はかなり興味深くて、法隆寺以上に興味が湧いた
お寺も出てきちゃいました。

奈良に行きた〜いexclamation
(続く…つもり)。

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posted by ぽち at 00:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

身近に聞いた心霊話(造成工事で壊した塚)

知り合いのおばさんとそのご主人の話です。
四半世紀かそれより前に、いろいろなエピソードを聞きました。
ささいな心霊現象っぽい話が多く、残念ながらひとつひとつはあまり
覚えていません。ただ、このご主人は自覚はないけれどもいわゆる霊媒体質
(霊を引き寄せてしまう)だったのではないかと当時も今も思っています。

覚えているエピソードは2つ。
1つは神奈川県南部の有名化けトンネル。トンネルの上に火葬場があります。
火葬場か他の土地かは不明ですが、トンネル上の山で土木工事が行われた時に
大岩が道路へ落ちる事故が起きたそうです。幸いなことに通行車はなく、
無事故で済んだそうですが、工事関係者だったご主人はこの岩を落す人影を
見たとか(もちろん人ではありません)。
他にもこの工事の時には心霊現象っぽい妙な出来事が多かったようで
あれこれ聞かせていただいたのにすっかり忘れてしまいましたふらふら)。

もう1つは神奈川南部の別の市で、造成工事をしたときの話です。
夜、うなされているご主人に気づいたおばさんが、ご主人の布団のそばで
正座しておがむようにしている女性を目撃しました。
「ひぃっ」と思ったときには顔をそちらに向けたまま金縛りにあったそうです。
暗い影に見える女性の脇には小さな子供も座っていたとか。
女性はぶつぶつと何か言っているようですが聞き取れず、怖いと思いながらも
おばさんはそのまま眠ってしまいました。

朝になってご主人が「ぼろぼろの着物を着た細くやつれた女の人と子供が、
『成仏させて』と足にしがみついて離れない夢を見た」と言い、おばさんは
昨夜の光景を思い出しました。
ですが怖がらせてもいけないとご主人には見たものの話をしなかったそうです。

その日、造成工事中に人骨がでてきて(後に女性と子供だとわかった)、
前日、塚のような小さな石を作業員が撤去していたこともわかりました。
骨は後に無縁仏としてお寺で供養されたそうですが、夢や枕元に出てきたのは
その骨の主だったのですね。

ちょっとぽちの疑問。お墓が壊されたから出てきてしまったんでしょうか?
(「我らの眠りを妨げるのは誰だ〜」って)。
それともずっと成仏は出来てなかったのかしら。

ご主人が何か(誰か)を連れ帰っているときには、おばさんも家の中で
妙な現象にあうことが多かったのですが、幽霊と思えるものを見たのは
この時がはじめてだったそうです。

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2009年11月09日

泉区の石塔・石仏21(和泉町)

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和泉町2269あたり。草木橋近くにある四ツ谷石仏群です。
石塔・石仏カテゴリーの「泉区の石塔・石仏」散策を始めるつもりで最初に
訪れた所なんですが、「カブで古道散策」の中にまとめて載せていました。
石塔別の写真も撮ってなかったので、それも撮ってきました。

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五輪塔スタイルの石塔。いろいろと不明です。

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文字の道祖神。上部が欠けています。建立年不明。

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合掌しているお地蔵さまスタイルの庚申塔。下に三猿がいます。
寛政六年(1794年)の文字と明治三●年(●不明)の文字が表に
並んでいますが、下の文字が不明でよくわかりません。
石仏群の中でひときわ大きいものです。

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出羽三山供養塔。建立年不明。

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祠スタイルだったのが壊れたのでしょうか。これもいろいろ不明です。

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双体道祖神。建立年不明。

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まるで不明です。

こちらに並んでいる7基はほとんど側面や裏面が読めなくなっていました。
元からここにあったのではなく、近隣のものを集めて並べられたようですが、
それもよくわかりません。

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2009年11月08日

泉区の石塔・石仏20(和泉町)

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和泉町1267番地あたり、四ツ谷湧水の裏山側住宅地にある祠。

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その境内、鳥居の(向かって)右に建っている双体道祖神です。
建立年は不明。

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ほとんど表面がわからなくなっていますが、足元だけが存在を
しめしているようです。双体の片側には足に沿った着物部分が。

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上の画像の祠から草木橋方面にある四ツ谷石仏群に向かう途中、
和泉町1297あたりの四つ角に建っている石塔です。

安永三年(1774年)建立。たぶん出羽三山供養塔です。

四ツ谷石仏群の過去記事:http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/107742273.html

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スラップスティックと大滝詠一


「恋するカレン」

たまーに聞きたくなる大滝詠一さんの歌2曲です。
曲が聴ければいいのですが、聴きたくなるのはほんとはこれではないのです。

オタクなぽち。
中学の終りくらいから高校のはじめくらいは声優さんのバンドに傾倒してました。
バンド名は「スラップスティック」。知ってる人いるかしらー?

諸星あたる・ピッコロの古川登志夫さん、アムロ・飛雄馬の古谷徹さん、
トンガリ・豹馬の三ツ矢雄二さん、他に曽我部和行(現・和恭)さん、
野島昭生さんの5人で構成されてました。

歌のほとんどは森雪之丞さんの作詞で、コミックバンド的なものからグループ
サウンズ、バラードまでいろいろ。
曽我部さんが大ファンだったという加山雄三氏からいただいた曲も2曲くらい
ありました。

で、大滝詠一さんなんですが。
このスラップに曲を提供していたことは、ファンにもあまり知られていない
らしいんですね。
逆にぽちたちオタクなスラップファンは、松本隆氏の作詞でご自身が歌って
ヒットした時に、「きったねー」とか言っちゃってました(あせあせ(飛び散る汗))。
いえ、「恋するカレン」ステキな歌詞です。

スラップでは「海辺のジュリエット」(作詞・森雪之丞)として古谷徹さんが
なかなか魅力的な音程(失礼!)で歌ってました。
「君に釘付けさ」の歌詞の部分が「うみべのジューリエット」で、実のところ
ぽちは鼻歌で歌う時に歌詞ごちゃまぜになってます。

このあとの「おおカレン」からはスラップに提供した時にはない部分なので
「恋するカレン」の方が長い曲です。



こちらは「スピーチバルーン」。
曲を聴けば、「パフ」(パッフザマージックドラゴン)まんまじゃん!と思われる
歌ですが、スラップではやはり森雪之丞氏作詞で「デッキ・チェア」という歌でした。

「恋するカレン=海辺のジュリエット」と違って、曲はまるまる「デッキ・チェア」。
スラップでは古川登志夫さんが歌ってました。

好きだった声優さんズのソロアルバムは今でも持ってます(プレーヤーないから
聴けないけど)が、スラップスティックのアルバムは友人から借りて録音して
いたので、もう手元に残っていません。それでたまに聞きたくなると、
「恋するカレン」と「スピーチバルーン」で聴くのです。

スラップの歌ではグループサウンズっぽい曲が好きなぽち。
それでも聴きたくなるのは大滝氏や弾厚作(加山雄三)氏の曲だったりするところは
やっぱり才能ある人のは違うってとこなんでしょうかね?
ちなみに大滝氏提供は全部で5曲でした。(他のも聞きたい)。

追記:
さっきWikiを見たら、カケラもスラップへの曲提供や、提供した曲の使い回し
(というかリメイク?)についての言及がなかったので、ちょっと書いておきます。
作曲したスラップスティックの歌は「われらスラップスティック」
「スラップスティック見参!」「星空のプレリュード」「海辺のジュリエット」
「デッキ・チェア」の5曲です。

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2009年11月07日

佐婆神社(横浜泉区)

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和泉町4811にある佐婆神社です。
上和泉とか神田の地名で他のさば神社と区別されているのを見かけます。

訪れたときはわからなかったんですが、地図を見ると直線で真西に上飯田の
ヤマダ電機&ダイクマがあるのですね。もっと遠くに感じていました。

鳥居は和泉川沿いから住宅地の奥に見えます。
実は佐婆神社だと気づかずに、「あの鳥居なに?」とふらふら〜と寄ったぽち。

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きれいにされている境内に横浜市指定名木・古木のタブノキがそびえ、
反対側に五輪塔や供養(奉納)の名前が刻まれた石塔が並んでました。

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後ろに見えるのは相鉄線。
こちらは通称「へっついさま」と呼ばれているそうで、由来は社殿がかまど
(へっつい)型の土塁に囲まれていたからだそうです。
今は見通しのいい地形で見る影ありません。

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こちらの祭神も12社中3社の源満仲です。

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扉のお賽銭を入れる為にあいているところから中をのぞくと、祭壇が開いていました。

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2009年11月06日

松嶺院の坐禅会のお知らせ

円覚寺・松嶺院の浄名禅会のお知らせが届きました。

紅葉の禅会ご案内
11/21(土)14時〜16時
11/22(日)10時〜12時

提唱:無門関第28則
会費:千円

坐禅30分、法話1時間、茶会15分、参加者自己紹介10分といった内容です。
興味のある方はぜひ。
はじめての方には聖典の貸し出しあります(2回目に名前を入れていただけます)。

この頃にはタイトル通りに北鎌倉も色づくでしょうね。
明日の定泉寺坐禅会には出られないので、こちらには参加したいところです。

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2009年11月05日

泉小次郎馬洗いの池(横浜泉区)

chuo1.JPG

長福寺の裏山あたりにある泉中央公園。
公園の敷地は鎌倉時代の泉小次郎親衡の城館跡と伝えられています。

入口近くには、1986年の泉区発足記念の「門」がそびえています。

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「門」や花壇などがあるスペースよりも長福寺寄りに下った側にある
泉小次郎馬洗いの池。

鎌倉時代から馬蹄形をした池だったそうで、水が枯れたことがないとか。
昭和15年ごろまで、旱魃が続いた時には雨乞いの行事が行われたそうです。
池底からは昔の太刀や、長福寺にある板碑などが出ています。

空堀や土塁の跡が見えると聞きましたが、この池の側からの斜面のことかしら?
土塁っぽいし、空堀っぽいけどよくわかりません。

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2009年11月04日

須賀神社(横浜泉区)

suga1.JPG

長福寺に隣接する須賀神社です。
建暦2年(1212年)、泉小次郎親衡が城館を建て、その鎮守として祀ったと
伝えられています。

同時に、鬼門除けに神明社、守り本尊に滝の前不動尊を勧請したそうです。

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新しい建物できれいです。
扁額のクッション(と言うか何て言うの?)もまだ色褪せていません。

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旧名が「牛頭天王社」らしいので、元は牛頭天王を祀り、今は祭神がかわって
いるかもしれませんが、「和泉の天王さま」と信仰されているそうです。

牛頭天王はスサノオと同一視(本地垂迹)されていたので、明治の神仏分離で
牛頭天王を祀っていたところの祭神はスサノオだけにかわっている所が多いです。
現在の祭神はわかりません(調べられなかったふらふら)。

こちらのお祭りでは御神輿の「おわたり」がにぎやかに行われているそうです。

神社仏閣には関係ありませんが。
長福寺と須賀神社の入口は同じで、和泉川・中村橋に面しています。
ちょうどこの入口を示す石の門柱の前で、木に隠れるように警官がよく立ってますので
車・バイクでは注意ポイントです。

長福寺と泉小次郎の参照過去記事:http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/131854379.html

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2009年11月03日

いず魅力と地蔵原キャンドルナイト(横浜泉区)

sotetsu150.JPG

いずみ中央駅・泉区役所まわりでイベントが行われてました。
和泉川では、地蔵原キャンドルナイト&キャンドルライブ。
ぽちが通ったときは色々なグループによる歌とバンド演奏のようでした。

時間がちょっとずれてれば、FMヨコハマの藤田くんによるゲーム大会が見られたんですが。
「はぁーい、藤田で〜す」の藤田くん、「はぁーい、カイトで〜す」の頃から
よく聞いてましたけど、お顔は見たこと無いので実はちょっと見たかったりします。

相鉄150という横浜開港150周年記念事業として、相鉄グループが150のイベントを
行ってきたそうで(全然知らなかったぽち)、フィナーレにあたる150番目が今日の
地蔵原キャンドルナイトなんですって。
地蔵原が700本のキャンドルアートで彩られるそう。暗くなってから見たいですね。
(本日21:00まで)。

区役所前広場とウラの川沿いにあるグランドでは「いず魅力」イベントをやってました。
こちらは子供向けっぽかったです。

区役所前でZARDの曲がずっとかかってました。いずみつながり?
…いずこい踊りとかいうのをやってたらしいんですが終ってました。

往路はともかく、復路は地蔵原の特設フードコートの誘惑に負けそうでしたー。
「脂肪燃焼!」って言い聞かせて無事(?)通り抜けました。

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2009年11月02日

泉小次郎ゆかりの長福寺(横浜泉区)

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いずみ中央駅から和泉川沿い(地蔵原の水辺がある側)を区役所と反対方向に歩いて
5分もしないところにある、天王山長福寺(臨済宗円覚寺派)。
横浜市指定名木・古木のイチョウが2本そびえます。

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日曜坐禅会と日曜写経会が月に1回行われているようです。

chofuku3a.JPG chofuku3b.JPG

なんと額書(扁額)は現・円覚寺管長の足立大進老師の書exclamation
600年以上の歴史あるお寺なので余計にびっくりしちゃいました。
数十年前まではきっとものすごく古い扁額だったのでしょうね。

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この裏山に城館を建てた鎌倉時代の人・泉小次郎親衡が、道場として創建したのが
はじまりだそうです。開山は大覚禅師(建長寺の開山)の法弟・空山円印禅師で中興の祖は
円覚寺百二世大雅省音禅師、応永二年(1395年)開創以来続く歴史をもちます。

chofuku4.JPG

境内はきれいに整えられています。
蓮の鉢がたくさんあったので、その季節に訪れると見ごたえがありそうです。

chofuku5.JPG

泉小次郎の城館があったといわれる裏山は泉中央公園になっており、そこにある「泉小次郎
馬洗いの池」と伝えられる池のほとりに数基の板碑があったそうです。

泉中央公園開設の工事の時に発見された板碑と共にこうして境内に保存されています。

板碑には南北朝時代(元徳・建武・康永・貞和・延文)の墓石もあるそうで、豪族や武士が
供養の為に建立したものだということです。
表面は凡字が読める程度で、かなり薄れていました。

おとなりにも泉小次郎ゆかりの神社があります。

泉小次郎についての参照過去記事:http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/131798278.html

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2009年11月01日

サバ神社3社の祭神・源満仲のナゾ(和泉町)

和泉川沿い、いずみ中央駅の近くに鎌倉時代初期の御家人・泉小次郎親衡に関連した
史跡がいくつかあります。
城館をかまえたと言われる場所や城の鎮守として勧請した神社や道場として建てたお寺など。

泉小次郎というのは信濃の国の豪族(御家人で信濃源氏)で、鎌倉幕府の実権を握ろうと
ライバルの一族を滅亡させていく北条氏を打倒すべく、2代将軍頼家の子を推し立てて
仲間をつのり立ち上がろうとしたといわれています。(露見して合戦、討手を倒して逃げ、
生き延びたそうです)。

和田義盛の乱と呼ばれる騒動のきっかけを作った人ですね。
義盛の乱で必ず名前が出てくる人ですが、あまり詳しくはわかっていないようです。

先日、その関連史跡をまわって、わかる範囲で調べてみました。
で、ふと気になったことが出てきました。

境川流域に点在する12社あるサバ神社(相模七サバなど)の祭神についてです。
12社のうち、9社の祭神は源義朝(頼朝の父)で、なぜか3社だけが源満仲を
祭神にしています。
その理由については、概ね不明とされています。

一説には鎌倉幕府をたてた頼朝の祖(父)という意味で、間違えて「源氏の祖」とされる
満仲の名前を登録したのではないかというのもあります。
3社の位置が和泉町にある3社と地域が近いことから、ぽちはこの説に傾倒してました。

満仲は源氏の祖なので頼朝や義朝の祖でもあるわけですけど、先に出した泉小次郎を
調べると、満仲の弟の直系一族だとわかります(よくわかっていない分、大雑把な
だけかもしれませんが)。

和泉町の3社、泉小次郎が城をかまえた土地柄を考えると、登録間違いとかではなく
ちゃんと理由があって、祭神を源満仲にしたのでは?なんて思っちゃったのですが…。
「理由不明」でもなんだかワクワクしちゃったぽちでした。

和泉町鯖神社の参照過去記事:
http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/107742273.html

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2009年10月31日

期間限定で身体にいいコトする

きちんとダイエットをしていればあわてる必要もなかったはず〜。
入院まで2ヶ月を切って、ようやく本気で身体を搾り鍛えねばと動き出したぽちですふらふら

いろいろとネットなどで情報集めをしていたら、「皮下脂肪が厚いと開腹の傷が
治りにくい」というのを見かけて慌て始めたんですあせあせ(飛び散る汗)
どのくらいの厚さが分かれ目なのかは知りませんけど、腹筋が引き締まっていると
治りが早いのは本当のようです。
昨日ちょうど、職場の産業医との健康相談面接があって、そう言われました。

今までウォーキングは3km程度、気が向いたときだけ途中、軽く走るような
ジョグウォークをしてました。メタボにはこのレベルでも効果あります。
でも腹筋を鍛えるほどには…。
というわけで6〜8km歩き出したのですが、もう少し増やせそうです。頑張ろ。

そして同じく気が向いたときだけやってたコアリズム。
こちらにも気合が入り始めましたよ。腰痛が出なければいいですが。
(産業医にもコアリズムは効果があると聞きました)。

以前は長距離を歩くとすぐに足の付け根や膝が痛くなってしまってました。
今回、気合が入ってるだけでなく、足がすんなり歩けてしまうのは、もしかしたら
やっぱり気が向いたときだけやってる四股踏みが、わずかながらでも骨盤矯正して
くれてたのかもしれません。
継続は力なり。もっと熱心にやってれば効果が倍増してたかも…。

運動だけでなく、さぼりがちだったサプリメントもちゃんと飲むようになりました。
「ピクノジェノール」というフランスの海岸松から抽出される成分のサプリです。
一般にフラバンジェノールとも呼ばれます。

抗酸化力があって免疫力もつけると言われ、婦人科系の臓器にそれなりの効果を
発揮するとも言われてます。他に、肌をよく保つ効果もあるらしく、開腹の傷の治りが
早かったという経験者の話も聞きました。
ぽちの目的は肌の治りです。

ちなみに1年前から飲みだしたのですが、当初、白髪が減るという効果が出ました。
その後さぼりがちだったのでよくわかりませんが、今回続けて白髪が減ったら
いいなーと期待してます。

免疫力をつける飲み物として生姜紅茶も試してみました。
すりおろした生姜とはちみつをそれぞれ小さじ1杯、熱い紅茶に入れるだけ。

最初はなんかおいしくなさそうと恐る恐る口をつけましたが、おいしくてビックリ。
のどがカーッとなって、チクチク効くって感じがまた刺激的です喫茶店
炭酸好きなんで好みです。しかもこれ、飲む時にのどに効くだけでなく、
飲み始めてからというもの、ずっとあった朝の喉痛がなくなってきたんですよ。
生姜パワー、すごいです。

ぽちは自覚はないですが、お医者さんにいくと必ず「のどが腫れてる」と言われます。
乾燥した朝は特に痛くなったりするので、生姜紅茶は病気関係無しに飲もうっと。

あとは例の朝ごはん。オリゴ糖と大豆イソフラボンを同時にとる。
苺に熱を加えたのを毎日とるのはつらいのでたまに。
(参照過去記事:http://tottokocubtaro.seesaa.net/article/126483177.html
他ではカプサイシン、リコピン、ベータカロチンを含む食べ物をとるようにする。
ってところでしょうか。

体重を落すダイエットでなく、身体を搾る・鍛える・良くするというのは難しいですね。
しかも短期間では。…今までなにしてたんでしょうねぇどんっ(衝撃)

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紙上認定5級にランクアップ(囲碁)

日本棋院の会員誌「囲碁未来」の12月号が今日届きました。
早速、棋力認定試験問題の先月号の答えをみて、答え合わせ♪

ハガキで応募したのは初段を目指すAコース。
まずは下から6級までのBコースで答え合わせ、次にドキドキしながらあせあせ(飛び散る汗)Aコースへ。

おおっ!ギリギリ5級にランクアップできました〜るんるん
詰碁はともかく、実戦をしないので布石や手筋問題が苦手なんですが、
今回は詰碁のいくつかを間違えて、逆に手筋・布石がバッチリでした。

「5級合格」のハンコをもらってハガキが返ってくるのを楽しみに待ちます〜。
しかし、紙上と実戦の棋力の差がありすぎますねたらーっ(汗)

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posted by ぽち at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

和泉川にキセキレイがいっぱい

1030tori.JPG

ピンボケ写真ですみません。

和泉川を天王森からいずみ中央へ向かってウォーキング。
いずみ中央は遠いと思って旧和泉高校のところで折り返してましたが
今日はいずみ中央駅まで歩いてみました。
(実は巻いてた骨盤矯正ベルトのせいで足が痛くって、いずみ中央の
スーパーではずそうと思ったからなんですがたらーっ(汗))。

重い足で歩いてると、いずみ中央駅の繁華(一応…)な街並みになる手前あたり、
川沿いの並木にキセキレイの群れがいっぱいいました〜わーい(嬉しい顔)

ぽちが木の下に近づくと、一斉に川向こうの木へ飛び立ちます。
やーん!逃げないでぇ〜。
行ってしまったと思うと、また別の木の集団がぽちから逃げていきますもうやだ〜(悲しい顔)

あからさまに逃げられるのはアレですが、羽を広げるとまっ黄色でとってもキレイ。
群れがまっ黄色です揺れるハート
キセキレイの実物を見るのは初めてで、最初はカワラヒワかと思いました。

なんとかもっと鳥を見ようとカメラのズームでのぞいていたら、反対側を
歩く人があらわれて鳥さんたち、帰って来ましたわーい(嬉しい顔) おかえり〜。

このあと、川の中をお散歩してるキセキレイを1羽発見。
ズームめいっぱいで撮ってみましたが、動くし遠いし、鳥を撮るのは難しいですね。

それにしても和泉川。
鯉はもちろん、カメにカモ。キジやカワセミも来てるのを見たことあります。
楽しくお散歩できる川です。

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2009年10月30日

泉区の石塔・石仏19(中田)

miyanomaes.JPG

中田東4丁目にある宮ノ前公園の角に2基並んでいます。

向かって左は庚申塔の文字のみ。
安政七年建立で、「ふじさわ道」「北八王子道」の道標にもなっています。

右は青面金剛刻像、正面と両側面にそれぞれ1匹ずつの三猿が
彫られています。
青面金剛は合掌スタイル。他の四臂の持ち物は法輪、棒、弓、矢です。
建立年は不明。

nakatas1.JPG

中田駅近くの白百合愛児園入口交差点から白百合公園方向入ってすぐの
パン屋の斜め向かいに立っている庚申塔です。
嘉永六年(1853年)建立。

nakatas2.JPG

側面は道標になっています。
「東柏尾道」「西大山道」「右とつか道」。
なかなか達筆です。

nakatafumeis.JPG

中田東1丁目と白百合1丁目の境くらいにある三大稲荷の近くで
見かけた、石塔か石仏か不明のものです。
表面の崩れや剥がれが激しく何もわかりません。

近年のお地蔵さまでは無さそうなので、写真におさめました。

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